
マーラーの一千人の交響曲やシェーンベルクの「グレの歌」など、宇宙規模(?)の編成の作品は、実演で聴くと心から感激する。それこそ地鳴りのするような音響が心身を、時空を超えてどこか遠くへ持っていってくれる、そんな印象。


1910年9月、ミュンヘンでの初演のときも、聴衆は度肝を抜かれたという。
ちょうど私の《第八》が完成したところです。—これは今まで作曲した内で最大のものです。また内容も形式もあまりに独特のもので、ちょっとそれについて手紙に記すことができないほどです。—ご想像いただきたいが、宇宙が音を立てて、鳴り響き始めるのです。もはや人間の声ではありません。公転する惑星の、太陽の、声なのです。—詳細はお会いして直に。
(1906年8月18日付、ヴィレム・メンゲルベルク宛)
~ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P326-327
もちろんマーラー自身も自作に驚嘆しただろうし、確信もあったことと思う。メンゲルベルクやワルターの録音が残されていないのがつくづく残念でならない。
交響曲第8番については、作曲の奇蹟的な経緯をブルーノ・ワルターが次のように回想している。
私はマーラーから幾度か手紙を受けとっていたが、これらの手紙は—リュッケルトの美しい言葉を用いるなら—彼が《この世を離れた》精神状態にあることを示していた。私は彼とアルマとに、ふたりがアメリカから帰ってしばらくウィーンに滞在するたびに再会した。また彼の『第七交響曲』の初演にあたっては、プラハで出あった。しかしその間に彼は魂の新たな高揚のうちに、フラバヌス・マウルスの讃美歌『来リタマエ、創リ主ナル聖霊ヨ』に霊感を得て『第八交響曲』の第一部を書き、第二部では『ファウスト』終幕の場面を音楽化することによって、この交響曲を完成していた。彼はこの力強く荒々しまでの活力によって、それまですっかり捉えられていたあの別離の気分から逃れたのだ、と私は考えた。彼は私に、第一部ができるあいだに恩恵を受けた謎めいた体験のことを話してくれた。感激の嵐のうちにこの讃美歌の最初の数行に作曲したとき、彼の詩の残りの部分が手もとにないことに気づいた。ウィーンに電報を打ったが、なにか不運な事故のために返事は来なかった。音楽的な霊感の流れを止めておくこともできず、いらだちながら作曲を続けた。そして第一部全体の交響曲的な形式をほとんど作り上げてしまったとき、やっとラテン語の完全なテキストが到着したので、彼はふたたび最初から始めようとした。ところがその必要はなかった—彼が感情移入および予感の驚くべき働きによって書いておいた音楽に、歌詞が意味どおり無理なく当てはまったのである。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P251-252
グスタフ・マーラーはまさに天に選ばれし音楽家だった。
ただし、同じくアルマも証言する「歌詞が意味どおり無理なくはまった」という伝説のエピソードには捏造部分(?)もあるようだ。
それは、1906年6月21日のフリードリヒ・レーア宛の手紙で、マーラーが「来たれ、創り主なる聖霊よ」についての優れた翻訳を速達で求めているからというのが凡その根拠だといわれる。実際、マーラーは用意周到な人だった。それは、初演後も繰り返し楽譜の改定を施し、納得行くまで推敲したことからもわかる。
ロリン・マゼールを聴いた。
ウィーンは楽友協会大ホールでのセッション録音。
マゼールのこの全集はすべての出来が良く、僕の座右のセットだが、第8番などは力づくでない自然体のスタイルを獲得した、音楽そのものを堪能させてくれる名演奏だ(概してマゼールのマーラーは脱力スタイル)。
第1部は30分に満たないが、聴後にこれほどの充実感を与えてくれる録音も珍しい。
(マゼールの本領発揮)
冒頭、オルガンに続く合唱から圧倒的な感銘を与えてくれ、マーラー渾身の音楽を堪能できる。
ここには慈悲があり勇気がある。
しかも、偉大なる創造主の賜物が水ではなく、火によってもたらされるという点が肝だ。
そして第2部の、コーダのクライマックスに向けての徐々に盛り上がるドラマのような構成がマゼールの真骨頂。





