紙一重・その2

かれこれ25年も前のこと、当時僕は京都の二条城の近くにある駿台予備校に籍を置いていた。丸1年間浪人生活を送っていたわけだが、今や伝説と化している名物カリスマ講師・表三郎氏の英語の授業をどういうわけかふと突然思い出した。

マルクス主義にいかれていた極左的な思想の持ち主である表氏の授業は単なる「英語」の授業に留まらず、文学、哲学、社会学にまで及ぶある種「宗教的」ともいえる内容であった。18歳やそこらの年齢で到底理解できるはずのないもので、確かに評価は賛否両論。しかしながら、僕は妙に惹かれたことを思い出す。その氏が数年前書籍を出した。その中には彼自身の日常の生活についても言及されているのだが、興味深い事実が書いてあった。

どうやらグレン・グールドを聴きながら濃い目のコーヒーを飲むことが日課になっているようだ。そこで、今日はグールドのバッハを聴く。

J.S.バッハ:パルティータ第1番変ロ長調BWV825
グレン・グールド(ピアノ)

若い頃バッハはどうも抹香臭く嫌いだった。というより苦手だった。それがどういうわけか30歳を越えた頃から耳に妙に心地よく、魂の琴線にまで触れるような瞬間が突然現れるようになった。
リヒターによるマタイ受難曲、シェリングによるシャコンヌ、マイスキーによる無伴奏チェロ組曲(旧盤)などを通じて・・・。しかし、何といっても極めつけはグールドによる一連の演奏。独特のノン・レガート奏法により一種機械仕掛けのピアノを演奏しているかのような錯覚を起こさせる際物といえば際物なのだが、作曲者の魂にまで触れる「底の深い」味わいも持つ演奏。グールドは30歳を超えてすぐコンサート・ドロップ宣言をし、つまり公衆の前での演奏を一切拒否するようになり、以来50歳で亡くなるまでスタジオにこもり続けた変わり者である。真夏の暑い盛りでもコートを羽織り、手袋を着けていた極端な寒がり屋さん。

やはり、こちらも「紙一重」なんでしょうな・・・。

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