ジェニングス メリット フォンタナ ナーフ グラハム・ホール ブーレーズ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管 シェーンベルク 歌劇「モーゼとアロン」(1995.10録音)

音楽と言葉。18世紀中頃のいわゆるグルック=ピッチンニ論争など、どこの世界においても事の優劣を測る争いが絶えないのは、陰陽二気たる現象世界の常。元来、真には優劣などないのだけれど。

モーゼとアーロン、この2人の兄弟の対立は、信仰と懐疑、酩酊と知性、神秘と現実、理想と計算、といった人間世界の相反する二元性にもあてはめられるが、シェーンベルクはこの対立を、テキストのなかに言語の形式と行為の形式として徹底的に追求し、それを音楽と結合させた。そして、思想の担い手であるモーゼには歌を与えず、すべて語りだけで理想を率直に喋らせ、アーロンにはリリックなテノールを用いて、現実めいた文学的なセリフを歌わせている。リズムの規制されたナレーションと歌との組み合わせは、シェーンベルクの重要な様式の一つだが、モーゼとアーロンの二元的な関連は、リブレットと音との結合構成をより複雑にし、また複雑なるゆえに、一層精巧に仕組まれている。
作曲家別 名曲解説 ライブラリー⑯「新ウィーン楽派」(音楽之友社)P188

清濁併せ呑む旧約聖書(出エジプト記)の物語。あくまで現実の二元世界からの観照ゆえすべてがあまりに人間的だ(一二音技法を用いている点においても)。そもそも僕たちは酔っ払らっていなくても酩酊状態のようなものなのだから、本来知性と対比するものでもない。絶対的な信があればそもそも懐疑など生まないのだから、それには知性が邪魔をしているのだとみることもできる。人間の知恵の限界極まれり。智慧の発露こそ今僕たちが学ばなければならないところだとあらためて思う。

1932年、第2幕まで書き下ろした時点で放置され、結果的に未完となった歌劇「モーゼとアロン」は、ステージにおいて第3幕はオペラではなく、語りでもって上演されるのが常だ(シェーンベルクの遺言による)。偶像崇拝を持ち込んだアロンに対して、そしてそのことを賛美する民衆に対して自身の神への信仰を揺らがせてしまうモーゼの疑心こそ、現代の宗教が形骸化したことを示す。世界に教祖は要らぬ、まして真理は文字にはできず、教典すら、もちろん偶像すら本当は不要なんだということを悟らねばならない。
その意味で、奇しくも音楽が付されることのなかった第3幕こそがこのオペラの肝となった。

・シェーンベルク:歌劇「モーゼとアロン」(1930-32)
デイヴィッド・ピットマン・ジェニングス(モーゼ、語り)
クリス・メリット(アロン、テノール)
ガブリエーレ・フォンタナ(少女、ソプラノ)
イヴォンヌ・ナーフ(病気の女、アルト)
ジョン・グラハム・ホール(若い男/裸の若者、テノール)
ペール・リンズコイ(若者、テノール)
ジークフリート・ローレンツ(もう一人の男、バリトン)
マイケル・デヴリン(エフライム、バス)
ラスロー・ポルガール(僧、バス)
ネーデルラント・オペラ合唱団
ツァンス少年合唱団
ウォーテルラント音楽学校生
ピエール・ブーレーズ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1995.10録音)

物語のクライマックスは当然第3幕だが、音楽的白眉は第2幕にある。猛烈な音響を伴なったシェーンベルクの音楽は決して聴き難いものではなく、僕たちの深層、魂にまで届く強力な音楽描写を施されたもの。特に、アロンの煽動、そして民衆の気狂いじみたお祭り騒ぎを見事に音化した第3場こそ最大の聴きどころだろう。冷徹なブーレーズの音楽が、心なしか狂騒に傾く。まるでショスタコーヴィチの音楽のような小太鼓とシロフォン、そしてタンバリンによって飾られる破壊的なシーンに心が躍る(?)。何という血腥さ!

ちなみに、シェーンベルクは第3幕にどんな音楽を持ってこようとしたのだろう?
結果的に「なかったこと」が物語の真意を示すように僕には思われるが、狂ったアロンを説き伏せようとするモーゼの「偶像崇拝否定論」と、息を引き取ったアロンを前にしてのモーゼの最後の言葉「おまえたちは、砂漠では不屈の者ばかりだった。おまえたちはきっと目的を遂行するだろう。神と一つになるがよい」に付されるべき音楽がどんなものだったのか、興味は尽きない。

第3幕は、少なくとも4回目の作曲に取り掛かっていますが、書き直しではありません。今のところ、その題名は「アロンの死」としています。ここで私は、聖書のなかにほとんど理解しがたい矛盾があるため、大きな困難に出会っています。私が聖書のなかでこだわっていることは、わずかな点に過ぎないかもしれないといえますが、たしかに存在するのです。それは二つの句「汝、岩を打て」と「汝、岩に命ぜよ」の相違が理解しがたいのです。・・・劇に関しては、この問題を解決しなくても作曲することは可能です。しかしそれは今なお、私を悩まし続けています。
(1933年3月15日付ヴァルター・アイドリッツ宛)
石田一志著「シェーンベルクの旅路」(春秋社)P369

過去記事(2014年2月13日)

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