ヴァント指揮ケルン放送響 ブルックナー 交響曲第9番(原典版)(1979.6録音)

ギュンター・ヴァントのブルックナー。
少なくとも最後の来日時に聴いたあれは空前絶後の、他では絶対に味わうことのできない、ほとんど神の啓示のような、息が詰まるほどの内的興奮を喚起するものだった。それはおそらく、後のリリースされた録音ではわからない、その夜、その場にいた人だけが体感したものでなかったか。

あるとき私が、長老ギュンター・ヴァントに、ドイチェ・グラモフォンに録音してもらえないかと尋ねると、彼は内に秘めた勝利を見せることなく、ドイチェ・グラモフォンは自分の質を見極めるのに40年もの時間があったではないか、と答えた。数十年にもわたってあまり認識されることのなかった、ケルン、ギュルツェニヒの指揮者が偉大な指揮者であることに気づくのに、なぜ世間が同じく40年かかったのか、と問いたい。私はかつてギュンター・ヴァントのコンサートを聴いて、深く感銘したこと、そうまさしく「打ちのめされた」ことを、自分の経験から報告しておく。そのとき、このマイスターは、北ドイツ放送交響楽団とブルックナーの交響曲第8番を演奏し、その演奏はいまではめったに体験できないような突出した濃密なものであった。これは音楽の稀な瞬間である。それだけでヴァントは偉大な指揮者なのだ。その指揮者が、リハーサルと「演奏する力」によって、オーケストラの中で素材とエネルギーの完全な融合を達成できれば、濃密さを、そう、熱さをもたらすことができれば、彼は偉大な指揮者なのである。ヘルベルト・フォン・カラヤンは述べている。「指揮者ではなく、メンバーが熱くなり、汗をかかなければならない!」。
コード・ガーベン著/蔵原順子訳「ミケランジェリ ある天才との綱渡り」(アルファベータ)P167

コード・ガーベンの言葉通り、ヴァントの偉大さは殊にブルックナーの演奏の中で現出された。そしてまたガーベンによると、カルロス・クライバーもヴァントのブルックナー演奏を当代随一のものと強く支持した最初の一人らしい。

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(原典版)
ギュンター・ヴァント指揮ケルン放送響楽団(1979.6録音)

神聖な、崇高な儀式のような第9番。
後年の演奏に比較して、人間臭い瞬間も多出するが(透明感と中庸・中道の表現はさすがに老練のそれには後塵を拝する)、基本の造形は何ら変わることがない永遠のブルックナー。傑出するのは第3楽章アダージョであり、確固とした信念と、地に足の着いた純ドイツ風の音楽が、生きる喜びの顕現のようで何とも希望に溢れ、聴いていて心が洗われる(そして元気になる)。

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