ナジ指揮東京藝大シンフォニーオーケストラ 第67回定期演奏会

ロシアの詩人アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)の物語詩を基にした「ルスランとリュドミラ」、そして、(大英帝国の生んだ天才)ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の言わずと知れた戯曲を基にした「ロメオとジュリエット」、さらに(ロシアの作家)ニコライ・ゴーゴリ(1809-52)の小説を基にした「タラス・ブーリバ」。文学の逸品と天才作曲家たちのマリアージュ。

世界のあらゆる物語は、生死の解決を願いつつ、しかし人間の力ではそれが決して叶わないことを前提として組み上げられている。意思疎通のための言語には限界があることを知ってか知らずか、音楽家たちはこぞって物語を音化することに努めた。天才たちの創造した音楽は、物語の詳細を知らずとも、あるいは詳細に知っていたとしても、聴く者たちに相応の刺激を与えてくれる。

果敢な、挑戦的な(?)プログラムに期待が膨らんだ。
抑制された音響は会場のせいなのか、はたまた指揮者の解釈によるものなのか。
日本のアマチュア・オーケストラの技術は随分向上したのだろうと思う。逆に、プロフェッショナルにはない新鮮さ、あるいは情熱が音に刷り込まれ、異様な感動を喚起してくれるといっても言い過ぎではない。個々のプレイヤーの技量はとても立派だった。もちろんアンサンブルもプロに引けを取らない美しさ。否、機能性という点ではプロの楽団には見劣りがあるものの、そういう疵さえもが音楽の一部として感じられる、一点の曇りもない音楽たちに僕はとても感動した。何より演奏に心があった。3つの大事な心、すなわち誠心誠意で作品に取り込む「誠心」、また、おそらくこの本番に向け団員たちが決心を曲げずに強い心で練習を重ねてきたであろう「堅心」、そして動き続ける「恒心」という3拍子揃ったであろうオーケストラの演奏が悪かろうはずがない。素晴らしかった。

東京藝大シンフォニーオーケストラ 第67回定期演奏会
2023年6月8日(木)19:00開演
東京藝術大学奏楽堂
・グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
・プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」第2組曲
 第1曲 モンタギュー家とキャピュレット家
 第2曲 少女ジュリエット
 第3曲 僧ローレンス
 第4曲 踊り
 第5曲 別れの前のロメオとジュリエット
 第6曲 アンティーユの娘たちの踊り
 第7曲 ジュリエットの墓の前のロメオ
休憩(20分)
・ヤナーチェク:狂詩曲「タラス・ブーリバ」
 第1曲 アンドリイの死
 第2曲 オスタップの死
 第3曲 タラス・ブーリバの予言と死
ジョルト・ナジ指揮東京藝大シンフォニーオーケストラ

歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲の最初の音が鳴り響いた瞬間、音響の美しさに打ちひしがれた(正直驚いた)。想像以上のまとまりと、それがゆえのこじんまりとしたスケール感が相まって、指揮者によって縦横にコントロールされた音楽の鳴りに鳥肌が立った。テンポは速過ぎず、遅過ぎず中庸、何という真面目さ、何という真摯さ!音楽に打ち込む学生たちの姿に僕は感動した。
そして、続く「ロメオとジュリエット」第2組曲冒頭の不協和音に、セルゲイ・プロコフィエフのアバンギャルドな側面を強烈に感じるも、例の有名な主題が提示された瞬間の安心感に相対の妙、陰陽の妙味を僕は思った。音楽は実に淡々と、しかし熱意を込めて奏された。何より第7曲のロメオの悲痛な叫びともとれる弦楽器の高尚な響きに僕は涙した。

それにしても後半の「タラス・ブーリバ」のまるで物語をそのまま直接読み込むかのようなリアルさよ。今夜の随一はヤナーチェクのこの名曲だろう。これこそ実演に触れねばこの傑作の神髄は絶対にわかるまい。「死」をテーマにした各曲に暗澹たる音調はなく、いずれにも希望の光を見たのは僕だけだろうか。特に第3曲「タラス・ブーリバの予言と死」の華麗なる(?)音の交錯にヤナーチェクの天才を思った。

いずれの作品においても、藝大オケの弦楽器の荘厳さと、(多少遠慮がちな、しかし時に大地を揺るがすような響きを醸す)打楽器の融け合う姿が良かった。もちろん(難しいであろう)金管楽器はひっくり返ることなく荘重な響きを示し、可憐な木管楽器のソロとあわせて堂々たる印象を僕は受けた。世界は慈しみに溢れているとあらためて幸せを感じさせてもらった。

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