シェリング ヘブラー ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第10番(1979.8録音)ほか

ブリッジタワーのためのソナタがクロイツェルに献呈された理由が興味深い。
今やベートーヴェンの作品は世界中で愛好され、彼は音楽史上の最大の天才の一人としてみなされているが、本人が存命当時、当然出版までが作曲家の仕事であり、出版にまつわる様々な紆余曲折を知るにつけ、楽聖とは称されるものの、ベートーヴェンはただ一人の、僕たちと同じ、この地球上に生活していた人間だったことを思い知らされる。

第2回の大コンサートから1ヵ月後、1803年5月にイギリスのヴァイオリン奏者ジョージ・ブリッジタワー(1779?-1860)がヴィーンにやってきた。彼はおそらく、カリブ、ブリッジタウン出身のアフリカ系男性と現ポーランド地域在住のドイツ系婦人の息子である。父は彼の出生直後から1785年までエステルハージ宮廷で執事をしており、幼少時を同地で過ごした彼は、後に、ハイドンに師事したと公言していた。それを証明する文書はいまのところ見つかっていない。生れ故郷に錦を飾るコンサートのためにベートーヴェンに作曲を依頼したと思われる。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P566

トルストイの小説でも有名になった「クロイツェル・ソナタ」の本当の委嘱者はジョージ・ブリッジタワーあり、ロドルフ・クロイツェルではなかった(初演も、1803年5月24日にベートーヴェンとブリッジタワーによって行われているのだ)。要は、作品を出版社に売り込むのに作曲家は相応の苦労を強いられ、旧友であったクロイツェルの伝を使って何とか出版に漕ぎつけようとした経緯があったことを今僕たちは知らねばならない。

その後パリに行く計画が持ち上がり、パリに戻っていたクロイツェルと協演して出版譜の献呈をしようと、同地でも出版業を営む、ボン時代の旧友ジムロックに手稿譜を託すことになる。
~同上書P567

名曲誕生の秘話・裏話というのは本当に面白い。
先ごろ亡くなったイングリット・ヘブラーとヘンリク・シェリングによるソナタ全集から「クロイツェル・ソナタ」。安定の、女性的な響きを醸すシェリングのヴァイオリン独奏に対し、縦横に伴奏をつける、否、対話する男性的な響きをもたらすヘブラーの堂々たるピアノは、まさに陰陽を一つに統べる若きベートーヴェンの神髄を伝えるものだ。

ベートーヴェン:
・ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」(1979.12録音)
・ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96(1979.8録音)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
イングリット・ヘブラー(ピアノ)

交響曲第8番作品93完成直前からスケッチが始まったとされる作品96のソナタは、最晩年の境地を先取りする透明な、しかし、耳疾の悪化というほとんど耳が機能しない中で生み出された割にかの交響曲同様、希望に溢れる明朗快活な音調が美しい。ここでのシェリングの演奏はオーソドックスな解釈でありながら、実に安定感のある、ベートーヴェンの魂の声が聴き取れるほどの熱いものだと僕は思う。それだけ音楽に集中するヴァイオリニストの意気込みが感じられる演奏なのだ。

第1楽章アレグロ・モデラートの優しい音調。そして、ピアノの前奏から始まる第2楽章アダージョ・エスプレッシーヴォは、ピアノ・ソナタ作品109の先取りのような天使の歌声のようであり、実に心が洗われる。ヴァイオリンの独奏が導き出される瞬間の何とも言葉にし難い官能よ(?)。短い第3楽章スケルツォを経て終楽章は懐かしいポコ・アレグレットのシーンからアダージョ・エスプレッシーヴォの自然体の見事な移ろいに、心が鎮まる(決然的な終結がまた良い)。

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