バランス

今日はあらためて「バランス」ということについて考えさせられた。人間は誰しも「壁」を持っているが、最低限の所謂「自己防衛機能」というのはいつでも行使できる状態でないとまずい。つまり、人と人とが「一つ」になる体験というのは生きていく上でとても重要な要素なのだが、一方で「自分」という枠をしっかりともち、自己を内観する術を体得していないと「出会う全てのもの」の影響を丸々受けてしまい、立ち上がれなくなるほどのダメージを被ることが避けられない。
「社会性が欠ける」と見える人はひょっとすると子どもの頃からこの「自己防衛」という機能が低いのかもしれない。逆に言うなら真に「純粋無垢」で傷つきやすいのである。ゆえに人一倍「否定」に反応する。作曲家で言うならブルックナー然り、シベリウス然り。彼らの残した創作物は他の誰も真似のできない天才性を秘めている。やはり「天は二物を与えない」ということか・・・。

人間は誰しも「孤独」と闘っているようなものだ。しかし、ブラームスが言ったように「自由」になるために「孤独」は確かに必要なのかもしれない。「孤独」を否定することはないのだ。

夜、学生向けのES講座を開催する。先週に引き続き参加した学生は5名中2名。進歩は見られる。というより、素直に反応する若者はやはり伸びる。こういう学生たちが未来の日本を背負うなら日本国もあながち馬鹿にしたものではないかもしれないと思う。

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90
オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン

ハンス・フォン・ビューローがいみじくも形容したブラームスの「英雄」交響曲。ただし、「英雄」とは名ばかりで、僕などはどちらかというと「人」より「自然」を感じてしまう。大地や水の雄渾さを髣髴とさせる拡がりをもつ楽曲だと思うのである。
そういえばスウィトナーはいつの間にか引退していた。その昔、NHK交響楽団の指揮者として頻繁に来日していた頃が懐かしい。彼はドイツものが得意である。この第3交響曲も「勇ましい」名演。とにかく地に足がついているところが素晴らしい。

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