マキシム・ヴェンゲーロフ・フェスティバル2015

pink_floyd_wish_you_were_here_vengerov_festival214一足先に大阪で開幕した「2015マキシム・ヴェンゲーロフ・フェスティバル」の東京公演第一夜。若者が一丸となって音楽を必死に奏でる姿は真に美しい。何より桐朋学園オーケストラの奮闘ぶりに心打たれた。
モーツァルトのコンチェルトーネの第1楽章アレグロ・スピリトーソにおける冒頭のオーケストラの出から確信に満ちた勇壮な響きに学生オーケストラならではの良い意味での緊張と思い入れたっぷりの表情に快哉。各々の楽章での重要な役割を果たすオーボエの音色の色気と芳醇さ。見事だった。
それにしてもオーケストラの響きに対比して感じられるヴェンゲーロフと田中晶子の二重奏の巧さ。ここには憂愁あり、愉悦あり、あるいは典雅ありと、縦横無尽の感情表現が横溢し、18歳のモーツァルトの抑圧された精神と一方で飛翔する心のすべてを感じとることができた、素敵なパフォーマンスだった。
なるほど、2つのヴァイオリンと独奏オーボエは三位一体の役割を担うようで、まさに父と子と聖霊の如くの聖なる音楽を奏でていた。確かにザルツブルク時代のモーツァルトの音楽は大半が機会音楽であるものの、信仰心に溢れた作品が多く、当然このコンチェルトーネもそういう神童の思いの下書かれたものなのだろうと想像した。

父なるヴェンゲーロフのヴァイオリンと子なる田中晶子のそれ。そして、その旋律に応答するように歌われる精霊たるオーボエの(学生とは思えない)卓越した技術を持つ奏者の美しい旋律に感激。例えば、第2楽章アンダンティーノ・グラツィオーソにおいて短調に転調する瞬間の得も言われぬ哀しみの表情にモーツァルトの天才を感じ、それを見事に表現した2人のヴァイオリニストの腕に舌を巻いた。

マキシム・ヴェンゲーロフ・フェスティバル2015
2015年5月26日(火)18:45開演
サントリーホール
マキシム・ヴェンゲーロフ(指揮、ヴァイオリン)
田中晶子(ヴァイオリン)
篠原悠那(ヴァイオリン)
土岐祐奈(ヴァイオリン)
吉田南(ヴァイオリン)
桐朋学園オーケストラ
・モーツァルト:2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネハ長調K.190
・ヴィヴァルディ:合奏協奏曲「調和の霊感」作品3-10RV580~4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ロ短調
休憩
・リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」作品35

ヴィヴァルディの音楽は、どこをどう切り取ってもいかにもヴィヴァルディなのだけれど、やっぱりヴィヴァルディらしく心に迫る。特にこの「調和の霊感」はいずれもが名作であり、実演で聴く限りは必ず心躍るのだが、今宵のヴェンゲーロフの独奏も、篠原悠那ほか3人のソリストの演奏も実に自由でエネルギッシュなものだった。要(かなめ)は通奏低音とチェロ。このチェロが若干弱かったことと、オーケストラの奏法が統一されていなかったことが少々残念ではあったけれど、第1楽章アレグロの勢い、そして第2楽章ラルゴの柔らかさは真に素晴らしかった。
休憩後は、マキシム・ヴェンゲーロフの弾き振りによる「シェヘラザード」。(もう2年前になるのだが)前回聴いた解釈同様に粘着質のうねるユックリズム表現。管弦楽が学生オーケストラに替わった分細かいところには瑕があるものの、全体的には実に熱く咆哮する音調。
それにしても、マキシムのソロによるシェヘラザードの主題の妙なる美しさ。そしてこれらに応える木管(オーボエがやっぱり巧い!)の高尚な響き、さらには決してでしゃばり過ぎない金管群のひそやかな爆発!特に、第4楽章「バグダッドの祭。海、船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲」に見る大いなるクライマックスに痺れた。
アンコールはなし。

 

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