ヘンドリクス サロネン指揮ロサンゼルス・フィル マーラー 交響曲第4番(1992.2録音)

力を尽くして狭き門より入れ

アンドレ・ジッドの「狭き門」の冒頭には「ルカ伝第13章24節」から上記の言葉が引用されている。何が何でも道を得よと聖書は伝えているのである。

今の曲をもう一度! 滅入って行くような調べだった。おお、まるで菫の咲いている土手を、その花の香をとったりやったりして、吹き通っている懐かしい南風のように、わしの耳には聞えた。もうたくさん・・・。よしてくれ。もうさっきほどに懐かしくない。(坪内逍遥訳)
アンドレ・ジッド/山内義雄訳「狭き門」(新潮文庫)P166

ウィリアム・シェイクスピアの詩からの引用は、まるでグスタフ・マーラーの音楽を斜に構えて聴いていたときのような心境だ。ともすると悲劇的で厭世的な匂いの香る(ある意味滅入ると表現しても良い)マーラーの音楽にあって、唯一楽観を想像させるのは交響曲第4番である(第2楽章には死の匂いがぷんぷんするけれど)。

交響曲第4番には数多の名演奏が存在するが、中でも機能美に満ち、楽観に一層の拍車をかけたものが、若きサロネンがバーバラ・ヘンドリクスを独唱に据え、録音した演奏だ。
実に長い間僕はその存在を無視していたけれど、今となっては(個人的に随一といっても過言でない)座右の音盤。

・マーラー:交響曲第4番ト長調(1900)
バーバラ・ヘンドリクス(ソプラノ)
エサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック(1992.2.11&12録音)

脱力のマーラー。
第1楽章から全編を通し、何と心地良い響きをもたらしてくれることか。
抑制と解放と、そしてタメの利いた美しい音楽が縦横に展開される。どこの部分を取っても安心して身を任せられる好演だが、個人的には颯爽として流れの中に精緻なハーモニーを聴かせる第3楽章アダージョ。録音の良さも相まって打楽器のずしんとした魂にまで響く怒号に感極まる。

終楽章のヘンドリクスの歌唱がまた可憐。というより大人の色気を感じさせるソプラノゆえ、天国的な美しさというよりもっと俗っぽい、現世での生の喜びが歌われるような雰囲気にむしろ(生に執着した?)マーラーの本音を思う。
サロネンの棒は相変わらず鋭い。

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