「スパイダーマン3」を観た。
友人たちがこぞって薦めるので前から気にはなっていたが、DVDで観ればいいやと思っていた。しかし、ふと気になりふらりと映画館に入った。
1作目も2作目も僕は観ていない。だから、スパイダーマンが何ぞやという知識、先入観は皆無。
しかし、よかった。自分と重ね合わせてしまう。人間らしい、というより人間そのものだ。「光」の部分と「闇」の部分が交錯する。目前の相手の姿勢、状態、反応によって「神」にも「悪魔」にもなりうる。スーパーマンのように常に「神」であることは難しい。が、「それが人間なんだ」って言ってしまうと「棚上げ」、「正当化」になってしまう・・・。
マーラーの交響曲第6番イ短調「悲劇的」を聴く。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
マーラーは「神は存在するか否か」というテーマを自問自答し続け、一生苦悩して生きた大作曲家である。彼の音楽には「聖と俗」、「光と闇」、「善と悪」が混在する。
幼少時のトラウマが音化され、自分でもどうやら収拾がつかなくなっているような支離滅裂さが大抵の楽曲には垣間見られる。
しかし、この第6交響曲に限ってはなぜか「統一感」があるのである。1時間20分の大曲であるが例外的に聴きやすい。
なぜか?
答えは単純明解。
楽曲の形式や調性のバランスがとれているからという答えももちろん正解である。
しかし、以下が最大の理由であると僕は考える。
この曲が作曲された時期は、マーラーにとって指揮・作曲の仕事面でも、健康・家庭の生活面(アルマと結婚し子供も生まれた)でももっとも充実した、人生最大の幸福な時期にあったのである。
物質的精神的安定。要は、「幸せである」ことが重要なのである。
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