「スターリンの影の下で」と題するアルバムから交響曲第8番。
アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団による。
昨今録音された同曲の中で、僕が一聴感動した1枚。
2025年はドミトリー・ショスタコーヴィチ没後50年の記念年。
スターリンに蹂躙され、また社会主義に翻弄されたように見えるショスタコーヴィチ自身は、実際のところはとてもしたたかであったと思われる。
巨匠はたくさんの傑作を生み出している。
それらは時代とともに廃れるどころか、時間を経て熟成され、21世紀の今や、ソヴィエト連邦から生み出された20世紀の逸品だと認識される。
戦禍の中で書かれた作品たちの暗鬱さ、同時に一条の光が差し込む瞬間の奇蹟。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調作品65(1943)
アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団(2016.3Live)
全編気迫に漲る、同時に清澄な音調を湛える音楽に、ショスタコーヴィチの魂が、いよいよ浄化され、果たして転生したのではないかと僕には思われた。
実に冷静で、整理整頓された作りは第2楽章モデラートの情念から熱気を奪い、それでこそ独裁者スターリンに飲み込まれんと抗った天才作曲家の理性を見事に表現しているように思う(最後の見栄の切り方が見事に決まる)。
白眉は第3楽章プレストから第4楽章ラルゴ、そして終楽章アレグレットに連なる流れ。ここでは諧謔家ショスタコーヴィチの本質と厭世家ショスタコーヴィチの本懐がまさに交互に現われ、スターリンに冒された世界を逆に蹂躙する。
アンドリス・ネルソンスの本性が光る。
何と美しいショスタコーヴィチ。
「まあ見てみろ。お前の目の下に八百年の歴史をもつモスクワ市の半分がある。タタール人や、ナポレオンや、ヒットラーが、この国を支配しようと試みて、空しく敗れ去った夢のあとだ。ほら、それがマルクス大通り、それからクレムリン、その左が赤い広場。運河を通じて五つの海と結びついている大ロシアの心臓だ。レニングラードは、たしかに美しい街だとおれも思う。だが、あれは欧州博物館じゃないか。モスクワは生きてる。正真正銘のロシア人の街だ。若くて、すごいエネルギーがある。お前も、そいつをたっぷり吸収して帰るんだな。世界の片隅の、たかが電気紙芝居の仕事ぐらいでピリピリするこたあねえだろう。え?」
相変らずというのは、そっちの事だ、と言おうとして、私は口をつぐんだ。澄んだ大気を通して目の下にひろがる初夏のモスクワは、確に東京にない何かを持っていた。朝見の大時代な演説を、それほど滑稽に感じさせないものが、そこにはあった。クレムリンの胸壁の鮮やかな赤と、目にしみるような樹木の新緑。冷く美しい空気。そして旨い葡萄酒。
長い間、私を悩ませたあの鬱状態から、今度こそ脱けだせるかもしれない、という予感がした。
~五木寛之「蒼ざめた馬を見よ」(文春文庫)P106-107