ポオル・ヴァレリイ「眠る女」
魂はやさしき仮面により
花のにほひをかぎ乍ら
若い私の恋人は
心のうちに
如何なる秘密を燃やすのか?
佯らぬかの女の恋情
如何なる空しき糧によりて
眠る女のかがやきをなすか?
呼吸、思ひ、沈黙、おかしがたき静さ、
おお、涙より力強き安息よ、お前は勝つ
この深き眠のうちに、
おごそかなる波と心易さと、
かかる敵の胸の上にて
陰謀を計らす時に。
~堀口大學「月下の一群」(講談社文芸文庫)P26-27
天才たちとの交流、あるいは後進の育成、そして夭折の天才作曲家であった妹リリへの想い、それらすべてがナディア・ブーランジェの生きる糧だった。何より誠心誠意行ってこその成果。
ナディアに師事した音楽家たちの錚々たる顔ぶれ。
20世紀の音楽界にあって、彼女の存在の大きさをあらためて思う。
ちなみに、彼女の功績の一つにモンテヴェルディのマドリガルの発見がある。
こうして過去の音楽についての関心が一般にも高まったが、ナディア・ブーランジェはその流れを促進するだけでなく、大衆にまったく親しまれていなかった何人もの作曲家や作品に脚光を浴びせた。ヨハン・セバスチャン・バッハのほとんどのカンタータを紹介したばかりでなく、シュッツの『復活』やカリッシミの『イェフタ』を実演した。またモンテヴェルディのマドリガルの発見は、純粋に彼女の手柄によるものだった。
~ジェローム・スピケ著/大西穣訳「ナディア・ブーランジェ」(彩流社)P115
1937年のEMIへの最初の録音では、親交のあったポール・ヴァレリーがまえがきを書き、フランソワ・ヴァレリーが作品の短い分析を付加しているそうだ。このレコードはディスク大賞を受賞したが、通奏低音がハープシコードでなくピアノで演奏されている点が残念だとジェローム・スピケは指摘している(史的交渉に基づく忠実な再現はまだはやっていなかったらしい)。
LP時代になってからのアメリカ・デッカへの再録音。
今や歌唱に古くささを感じるのは仕方あるまい。しかし、まるで歌謡曲を聴くような親しみやすさと、聖なるモンテヴェルディの人間らしい側面が手に取るように感じられ、古の音楽の美しさと温かさが見事に調和した素晴らしいレコードだと僕は思う(ナディアの審美眼!)。
「ナーーーディア、ナーーーディア・・・」
幼少期から晩年まで、マドモアゼル・ブーランジェの人生には常に、スラヴ魂の神秘的な声がこだました。
ずっと身近にいた母親の死後も、暗に服従を求めるその呼びかけはナディアの記憶に鮮明に残り、死ぬまでついて回った。
「判断を下すのは、いつもママンなのです」と、ナディア・ブーランジェは常に言う。「今でも母は私とともにいるのです。彼女の存在を感じます。時が流れても変わりはしないのです」と、もう十分に年を重ねてからもためらうことなくそう告白した。
~同上書P17
ナディアはおそらく父性の人だった。母の永遠なる存在が彼女をそうさせたのだろうと思う。後進の育成にはとても厳しい人だった。ただし、そこには常に慈しみがあった。
それは、彼女の指揮するクラウディオ・モンテヴェルディのマドリガル集を聴けばわかる。
何と優しい歌の数々よ。