昨日の続き・・・。
面接の場では終了時の態度の良し悪しが合否の重要なポイントになるのだと。終わり良ければすべて良し。人間というもの去り際に「人間性」が出るものだとも聞いてなお納得した。と同時に少々どきっともした。というのは、2年半前に辞めた前職の話。
20年近く仕えていた(そういう言い方が正しい)会社を断腸の思いながら辞めると決めたのが2006年10月。結局翌年の1月いっぱいで退職し、いわゆるサラリーマン生活(いや、丁稚奉公生活かな・・・笑)から足を洗うことになるのだが、2年間同業に就かない旨の念書をとられ、直後は少々燻り、わだかまりもなくはなかった。いわゆる円満退社ではあるが、どうもすっきりしない。本当にあとを濁していなかったか・・・。
とはいえ、今になって思うと、長い間学ばせてもらったお蔭で、紆余曲折いろいろなことがありながらも「やりたいこと」が形になりつつあるのだから、どんなことでも必然であり、いつまでも「感謝の念」を忘れないようにすればいいのである。いや、そうしようとあらためて誓った。すべて気持ちの持ちよう。
ところで、一昨日聴いたハイドシェックのリサイタルでアンコールのヘンデルにいたく感動し、彼がかつて宇和島で演奏した実況録音盤やケンプに捧げたコンサートでの録音を久しぶりに取り出して聴いてみた。上手く説明できないが、J.S.バッハよりアカデミック的に聞こえず、エネルギーが外に向かって放出されている(ような)創り方がとても心地良い。ということで、今夜はグールドが珍しくチェンバロで演奏した音盤を。
ヘンデル:チェンバロ組曲第1番~第4番
グレン・グールド(チェンバロ)
録音:1972年
グールドがチェンバロでの演奏をこれ以外に残さなかった理由がよくわかる、そういう録音である。ピアノによってグールドのグールドらしさが一層強調されるということが明らかになる、そういう音盤なのである。ひょっとすると、筋金入りのグールド・ファンでも途中で投げ出してしまうのではないかと思わせる、いまひとつピリッとしないおよそグールドらしくない演奏が連綿と続く。グールド本人もチェンバロの響きは自分には合わないと思ったのかも・・・。
ちなみに、この演奏ならば、圧倒的にアールグリムがチェンバロを弾いた音盤に分がある。
ヘンデル:8つのチェンバロ組曲
イゾルデ・アールグリム(チェンバロ)
録音:1974,75年ドレスデン、ルカ教会
ドイツ・シャルプラッテンからリリースされた音盤はどれもレベルが高い(東西ドイツが存在していた頃の東ドイツは本当に良い仕事をしている)。廉価でCD化されたこの録音の価値も十分に高い。
※遅ればせながら『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観た。2年前公開された『序』以上に意味深く素晴らしい。
こんばんは。
青柳いづみこさんは、グールドの演奏について、次のようなことも書いておられますよね。
・・・・・・グールドにおける手の独立は驚異的だが、これは彼が左利きだったことと無関係ではあるまい。彼が、右手が旋律を歌い、左手は単なる伴奏に終止する「右手のための音楽」を嫌い、フーガやカノンなどポリフォニックな作品を好んだのも、この特殊性のためではないか。フーガでは左右の手が同じように動くことを求められるが、右利きのピアニストの場合、どうしても左手の方が運動的ににぶくなるからだ。
もっとも、グールドの右手の動きが左手より劣っていたかというとそんなことはない。彼の指の分離は驚異的で、中指、薬指、小指の間に少しも癒着がなく、どんなパッセージ内でどんな組み合わせで当たっても同じような敏捷さで動かすことができた。フーガやカノンのように、一本の手の中で複数の声部を弾きわけるためには必要不可欠な資質だ。・・・・・・(青柳いづみこ オフィシャル サイト より)
http://ondine-i.net/column/column183.html
すると、ポリフォニックな要素の少ないヘンデルの音楽は、彼には手持無沙汰だったということですかね? チェンバロより、ヘンデルの音楽と「波長」が合わなかったんでしょうかね。
ヘンデルの音楽が持つ、広々とした空間性と、内に向かうグールドの音楽、もし、1980年代以降グールドが長生きして、演奏スタイルが大きく変貌したら、ひょっとすると両者の「波長」(パルス)が合う瞬間が巡ってきたかもしれません。そう考えると彼の早い死は、やはり残念です。
岡本さんの名言、「人間は変わらない。変わるのは関係の質である」は、演奏家と曲の関係にも当て嵌まるのでしょうか?
アールグリムのヘンデルの録音、私も好きです。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』についてコメントすると、またとんでもなく話が脱線しますので、自主規制いたします(笑)。
>雅之様
こんばんは。
グールドがどうしてヘンデルを録音する際にわざわざチェンバロを使ったかが知りたいですよね。それに詳細はわかりませんが、時折プリペアード・ピアノのようにチェンバロの音質を変えている部分がありますから、雅之さんがおっしゃるようにピアノでやるには手持ち無沙汰だったのか、あるいは音楽的に「波長」が合わなかったのかでしょうね。
>もし、1980年代以降グールドが長生きして、演奏スタイルが大きく変貌したら、ひょっとすると両者の「波長」(パルス)が合う瞬間が巡ってきたかもしれません。そう考えると彼の早い死は、やはり残念です。
あぁ、確かに。僕もそう思います。
人と人との関係は波動、波長ですから、演奏かと曲の間にも当てはまるかもしれないですね。
>またとんでもなく話が脱線しますので、自主規制いたします(笑)。
これに関してはまたお会いしたときにでも語りましょう(笑)。
ハイドシェックが富山で弾いたヘンデルの映像が、YouTubeに残っています。一度是非ご覧くださいませ。
>trefoglinefan様
おはようございます。
早速観ました。ちょうど10年前の公演なんですね。
最高です!
ご案内ありがとうございました。
おはようございます。
私はハイドシェックについても全く勉強不足で、このブログでいろいろ学ばせていただいており感謝しております。
昨夜、グールドの件で青柳いづみこさんのサイトを読んだついでに、ハイドシェックの記事を読んでいたら、次の箇所が目に留まりました。
・・・・・・「規律の中の自由」というキャッチは、フランスの雑誌『ピアノ・マガジン』のハイドシェック特集号から取った。ハイドシェックは、6歳からコルトーの薫陶を受け、パリ音楽院卒業後もコルトーに師事している。『ピアノ・マガジン』の巻頭には、「海は月のリズムに忠実に満干をくり返す。大きな空間の中では自由だが、時間的には厳格な規則に従う。音楽も同じようにしなければならない。これは、コルトーが私に教えてくれたことだ」というハイドシェックの言葉が掲げられている。
ルバートはプラスマイナスゼロで、リズムの柱と柱の間では自由に飛翔するが、必ず元に戻ってくる。大きくテンポをゆらしながら全体の統一をとる極意は、コルトーからハイドシェックに受けつがれたものだ。・・・・・・
http://ondine-i.net/column/column117.html
「規律の中の自由」、うわー、ええ言葉やなあ!と思いました。今年知った言葉で一番感銘を受けました。組織の中で働く身には、示唆に富んでいます。
前にもご紹介いたしました、以前S・クイケンがハイドンの音楽について語ったレコ芸のインタビュー記事も思い出しました。
・・・・・・こうして音楽の中にある「限定」があることこそが、私は好きなのです。最小限の音、そしてむしろ「最小限の自由度」が。それこそが「偉大な瞬間」で、小さなことのうちに大きな喜びがあるのです。確かストラヴィンスキーが小さな本「ミュージカル・ポニトニー」で、「限定がなければ自由もない」と述べています。これはストラヴィンスキーだけではなく、多くの人々が言っている一般的で哲学的な問題です。自由はとても重要だが、限定(制限)がなければ、その自由も楽しめるものにはならないのです。なぜなら、はじめにただ、楽しめるものを求めてしまうと、それはとても小さな領域に留まってしまい、その領域には自由がなくなってしまうのです。こうした自由と限定の素敵な緊張感が、ハイドンの音楽にはつねに強く働いているのです。モーツァルトはより叙情的で、より拡がりがありますが、ハイドンはそうではないのです。
私の気持ちは、ある面ではハイドンにより近いのです。私にはハイドンは積木で遊んでいる子供を想わせます。高い塔を組み上げてみたり、どこか一つの石が少しずれていても倒れたりはせず、多くのシンメトリーがあっても完全には均衡ではなく、人間的な小さなミスや小さな不均衡が組織化されていたりと、とても魅力的ではありませんか。・・・・・・
「限定がなければ自由もない」、これも、我々社会人のひとりひとりが肝に銘ずるべき言葉だと思っています。
>雅之様
こんばんは。
青柳いづみこさんのハイドシェックに関する記事もS.クイケンのインタビュー記事も本当に示唆に富んでいて素晴らしいですね。
「規律の中の自由」、「限定がなければ自由もない」
いずれも名言です。
いつも勉強になります。ありがとうございます。
グールドがチェンバロでヘンデルを録音した時は、愛用していたスタインウェイCD318ピアノが落下事故によって破損し、修繕に入っていた時でした。
このピアノとの出会い以来、グールドはこのピアノで多くのアルバムを録音、発売しました。グールドはこのピアノの感触がチェンバロのようなものを感じていたためか、大変気に入ったそうです。
しかし、グールドがグリーグのピアノ協奏曲の録音を計画したものの、自らかぜでキャンセルした際、トロントへ移送する際、運搬先のミスからか、ピアノが落下して大破しました。修繕は入念に行われたものの、以前の感触を失っていました。
グールドはこの愛器を諦め、2度目の「ゴールトベルク変奏曲」、ハイドンのソナタ集、ブラームスのバラード集、2つのラプソディー、リヒャルト・シュトラウスの作品集をヤマハCFⅢFで録音、1982年10月4日、この世を去りました。「ゴールトベルク」発売とグールドの訃報、多くの人たちの心に深く刻まれたことは確かです。
グールドの美は純粋でありながら、危ういものだった。それが今日も多くの人々を捉えていることがわかります。
>畑山千恵子様
こんばんは。毎々貴重なコメントありがとうございます。
>グールドがチェンバロでヘンデルを録音した時は、愛用していたスタインウェイCD318ピアノが落下事故によって破損し、修繕に入っていた時でした。
そうだったんですか!それは知りませんでした。しかも、グリーグを録音しようとしていたとは!グールドのグリーグ、興味深いです。
なるほど、晩年の諸作はヤマハCFⅢFでレコーディングされていたんですね。