The Beatles “Rubber Soul” (US Version) (1965) ⇒ The Who “Tommy” (1969)

論理的、倫理的な厳密さを表明しているように見えたとしても、音楽は悪霊たちの住む世界に、つまり人間の理性と尊厳に関してそれが絶対的に信頼できるものであることを証明するために、あえて自らの手を火中に置きたいとは思わないような、そうした世界に属していると私には思えるのである。私がそれでもなお心から音楽に愛着を感じているのは、喜ばしいことか嘆かわしいことかは別として、人間性と切り離すことのできないああした矛盾のひとつなのである。
トーマス・マン/関泰祐・関楠生訳「ファウスト博士」(岩波文庫)

負の芸術たる音楽の中でも最先端はビートルズ以降のポップ・ミュージックだろう。もちろんそのことをトーマス・マンは知らない。
ポップ・ミュージックの歴史を変えた1枚。

・The Beatles:Rubber Soul (1965)

『ラバー・ソウル』の頃には、ビートルズはすでに新しい音楽性を見い出していた。初期の曲は、アメリカのリズム&ブルースの影響が大きかった。
(ジョージ・マーティン)
The Beatles アンソロジー(リットーミュージック)P193-194

『ラバー・ソウル』ではありとあらゆる実験をしたよ。ドラッグのせいもあるだろうね。ジョージ・マーティンはそのことを知っていて、よく怒ってたよ。本気で怒ったわけじゃないけど、僕らを見ると“またか”って感じだった。何をやるにも時間がかかったからさ。
(リンゴ・スター)
~同上書P194

僕らの音楽はどんどんサイケデリックでシュールな方向に変わっていったけど、ジョージ・マーティンはとてもよく理解してくれたよ。音楽的には自分の趣味とまったく合わないこともあっただろうけど、いつだって熱心に聴いてくれたね。
(ポール・マッカートニー)
~同上書P194

ジョージ・マーティンあってのザ・ビートルズの奇蹟。
しかし、こういう革新の背景に一方で、彼らの苦悩もあったことがリンゴ・スターの回想から垣間見える。

当時はいろんな変化があった。僕らの考え方が変わり、生活そのものも変わった。『ラバー・ソウル』のレコーディング・セッションは、ある意味では、崩壊への道のりの第一歩だったんだ。僕らはいろんなことに挑戦したし、スタジオで過ごす時間はとても楽しかった。完成したレコードも素晴らしい出来だったよ。でも、時が過ぎていくにつれ、スタジオにいる時間が負担になり始めたんだ。5~6年後には、スタジオにいることにさえ飽きてしまったのさ。
(リンゴ・スター)
~同上書P199

作品創造の裏側の過酷な生活と精神的に飽和状態になるほどのモノを生み出すことの困難。しかし、すべてはここから始まった。

きっかけは1枚のアルバムだった。1965年の暮れにビートルズがリリースした重要なアルバム『ラバー・ソウル』がスタートだった。このアルバムからビートルズはそれまでのロック・グループの衣を脱ぎ去り、洗練され、アレンジも練られた、ポップ・ミュージックの新たな次元を切り開いた。1965年の12月にブライアンはその『ラバー・ソウル』を聴いた。我々がよく知るイギリス盤ではなく、「夢の人」や「イッツ・オンリー・ラヴ」が入ったアメリカ編集盤だったが、選曲が違っても名曲が揃ったこのアルバムのクオリティは非常に高く、ブライアンはとてつもない衝撃を受ける。「一発でぶっ飛ばされた。すっかり心を奪われてしまったよ。どれをとっても素晴らしい曲ばかりだった。あれこそ僕が目標にすべきものだった。・・・よし、挑戦するぞ。全部が傑作のアルバムに。今までで最高のロックンロール・アルバムを作ってみせる」そしてブライアンはすぐにその場で『ペット・サウンズ』の曲作りに取りかかる。
~TOCP-70077ライナーノーツ(佐野邦彦)

イギリス・オリジナル盤ではなくアメリカ編集盤「ラバー・ソウル」だったことが実はミソだったことが興味深い(あくまで推測だがという断りつきだが、津田ベース教室のブログに詳しい)。


・The Beatles:Rubber Soul (1965) (US Version)

“Drive My Car”はオーティス・レディングの”Respect”が元ネタだという。
なるほど確かにその通りかもしれない。ポップ音楽史を塗り替える最強のアルバムたちが生み出されることがなかったかもしれないという文字通り奇蹟。すべては偶然であり、また必然であったことがわかる。

世界を揺るがす後の傑作は、リリース当時の人々に容易く受け入れられることはなかった。
発表から半世紀以上を経てあらためて耳を傾けて思うのは、周到に用意されたブライアンのコンセプト・ワークと、それを具現化するための詳細な計画と実行がったことであり、作詞にマイク・ラヴではなく、あえて若手のトニー・アッシャーを起用したところにも時代を凌駕する先見があったのだと痛感する。

・The Beach Boys:Pet Sounds (1966)

発表から60年近くを経た今もポピュラー・ミュージック史に燦然と輝く1枚。
天才ブライアン・ウィルソンの、天の啓示からの無二の創造物。

ジョージ・マーティンは「ポップ・ミュージックの世界で生きた天才と呼べる人物を一人選ぶとすると、僕はブライアン・ウィルソンを選ぶ。彼のビーチ・ボーイズとの創造性、独創性は、僕が足を踏み入れるのをずっと躊躇していたレベルまで達し、『ペット・サウンズ』は僕らのジャンルの中で最高のランクに位置すべき作品になった。ブライアンはフロンティアをさらに前進させ続け、ビートルズや僕自身に対し、彼に追いつくための相当の課題を与えた」と絶賛していた。
~同上ライナーノーツ

ポール・マッカートニーの1990年の回想である。
そして、怪物アルバム『ペット・サウンズ』に刺激を受け、更なる怪物アルバムがついにビートルズによって創出される。

ロック・ミュージックの全ての頂点を極めていたビートルズが、『ペット・サウンズ』を作り出したビーチ・ボーイズから強烈な刺激を受け、ライヴァル心を燃やして『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作り上げていったことは有名だが、こうして実際の言葉として語られると嬉しくて、何度もそこの部分を読み返してしまう。
~同上ライナーノーツ

・The Beatles:Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (1967)

ちなみに、”Sgt.Pepper’s”が初のコンセプト・アルバムだという評価に対し、ジョン・レノンは後に次のように回想し、否定していることが面白い。

『サージェント・ペパー』は初めてのコンセプト・アルバムと言われるけど、あんなの何の意味もない。僕があのアルバムで作った曲は、どれもペパー軍曹とそのバンドというアイディアとはまったく関係ないよ。だけどうまくいってる。なぜなら僕らがうまくいったと発表したからさ。それで、あのアルバムは成功したコンセプト・アルバムみたいに思われた。でもよく聴いてみれば、そんなにまとまっちゃいないんだよ。つながっているのはペパー軍曹がビリー・シアーズを紹介するところと、リプライズって呼ばれる部分だけだ。それ以外の曲はすべて、他のアルバムに入ってたってまったく差し支えない。
(1980年)
The Beatles アンソロジー(リットーミュージック)P241

本人たちの意図や意志がなかったことがそもそも奇蹟であろう。
コンセプト・アルバムが後付だとしても、「サージェント・ペパーズ」が稀代の名作であることには変わりない。

そしてまた、ジョンは別の機会に次のようにも言う。うまいことを言うもんだ。

僕なら『トミー』の曲を書く気にはなれないね。ピート・タウンゼントの話を読んだけど、山のように曲があって、スタジオで自然とそれが『トミー』に溶けこんでいったんだって。『サージェント・ペパー』みたいだね—ひと束の曲にペッパーをふた握り、するとそれがコンセプトってわけ。
(1975年)
~同上書P241

なるほど、確かにザ・フーのロック・オペラ「トミー」も優れたコンセプト・アルバムであり、60年近くを経た今も僕たちの魂を大いに刺激する傑作だ。

・The Who:Tommy (1969)

うねるピートのギターと破壊的なキースのドラミングにしびれる。
もはやそれ以上の言葉を添える必要のない最高のコンセプト・アルバムの一つだろう。「サージェント・ペパーズ」とはある意味双生児なんだ。

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