ティルバリー ケージ ソナタとインターリュード(1974.12録音)

現代の前衛音楽を侮るなかれ。
そこには西洋的方法の矛盾を突き詰め、東洋的精神と同期した天才たちの、常識との闘いの結果がある。為すべきことがなくなった人類がついに思考を尽くして創出したものがそれだという認識を僕たちは捨てねばならない。

《ソナタとインターリュード》(私はこの曲を1948年に完成した)の場合、構造だけが組織化されたが、それは作品全体としてはきわめて大雑把に、しかし個々の曲のなかでは正確に行われた。方法は、考えた上での即興(主としてピアノに向かって行ったが、楽器を離れたときにアイディアが浮かぶこともよくあった)によっている。
ジョン・ケージ/柿沼敏江訳「サイレンス」(水声社)P43

ジョン・D・クランボルツ博士の「計画された偶然性」を思う。蒔かれた種は必ず花開き、実を生す。すべてに偶然はなく、必然であることを僕たちは知るべきだろう。

素材、すなわちピアノのプリパレーションは、海岸を歩きながら貝殻を選り集めでもするように選ばれた。
形式は、私の趣味が許すかぎり自然であるようにした。そのため、《ソナタ》のすべてと《インターリュード》のなかの二つにおけるように、ある部分が反復されるところでは、ひとつのセクションの終わりから初めへの進行が避けがたく思われるような形式上の配慮がなされている。

~同上書P43

ジョン・ケージの意志の反映。
しかも、彼は世界が数学で成り立っていることを教えてくれる。すべては宇宙の繋がっているのだ。

《ソナタ》のなかのひとつ、第4番の構造は、2分の2拍子による100小節を、各10小節の10のユニットに分割している。このユニットは3・3・2・2の比率でつなぎ合わされてこの曲の大きな部分を形成し、また同じ比率で下位区分をして、各ユニット内に小部分を生み出す。音の振動数的な面、すなわち調性にもとづく構造とは対照的に、このリズム構造は、従来からの音階や楽器による音とともに、非楽音、すなわちノイズをも受け入れることができる。というのは構造に関しては、その中で生起する素材によって限定されるものは何もないからである。事実、この構造は、こうした素材が存在していてもいなくても、同じように表現できるように考案された。
~同上書P43-44

ソナタ第4番は2分にも満たないミクロ・コスモス。
プリペアード・ピアノの音は、まるでカリンバのような、土俗的な、古来の祈りの舞踊を顕す。音楽に触発され、世界の平和を祈念する(この作品が戦後まもなく書かれたことはケージの無意識の思念の表れのようにも個人的には思える)。

ジョン・ケージ:ソナタとインターリュード(1946-48)
・ソナタ第1番
・ソナタ第2番
・ソナタ第3番
・ソナタ第4番
・インターリュード第1番
・ソナタ第5番
・ソナタ第6番
・ソナタ第7番
・ソナタ第8番
・インターリュード第2番
・インターリュード第3番
・ソナタ第9番
・ソナタ第10番
・ソナタ第11番
・ソナタ第12番
・インターリュード第4番
・ソナタ第13番
・ソナタ第14番
・ソナタ第15番
・ソナタ第16番
ジョン・ティルバリー(プリペアード・ピアノ)(1974.12.9-11録音)

ちなみに、ジョン・ケージは人生の後半ベジタリアンになった。
武満徹との対談の中でもその旨が語られている。

武満 つまんない質問だけど、食べものが変わって、感じ方とか考え方は変化しましたか?
CAGE 変える前は、食べものより考えることの方が大事だと思っていたんです。でも山本シズ子さんという人にこのダイエットのやり方を教わっているうちに、かつて鈴木大拙先生のところに行って色々教わっている時に、自分の考え方がどんなに大きく変わったか、それを思い出したんですね。つまり、自分の考え方が、いつの間にか変てこに偏ってしまっていたのが、食べもの変えることによって元に戻った。偏りがなくなった。そんな感じがしています。

(1986年12月5日、山菜料理・山懸にて)
「武満徹著作集5」(新潮社)P68

もちろん「ソナタとインターリュード」作曲当時は肉食だった彼も、日本の文化に触発され、マクロビオティックに出逢い、さらに鈴木大拙に感化され、見える世界が大きく変わったようだ。

ですから、もし私が何らかの役に立つのだとすれば、それは日本に来て形を変えた仏教というものを知ったからだと思います。鈴木大拙先生から学んだことはたくさんあるのですが、中でも一番大切なことのひとつは、すべての存在が—我々のように意識を持った存在であろうが、あるいはキノコとか石のような無感覚の存在であろうが—すべての存在が、この創造界にあっては中心にあるのだという教えです。
これは、私のような西洋の人間にとって本当に新鮮な素晴らしい考え方で、私は、何か命の息を吹き込まれたような感動を受けたのをよく憶えています。

~同上書P71

ただし、それはあくまで禅の教えからの触発であり、実際に法を得たわけではないケージにとってそこからさらに飛翔するためには来世を待つしかなかったのだろうと思う。

なお、ケージが貝殻を選り集めるように施したプリパレーションの素材は、こちらの通り(Wikipedia)。細かい指示にジョン・ケージの強い意志を思う。

過去記事(2016年5月30日)


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