自然に還れ!
ジャン=ジャック・ルソーは作曲家でもあった。
その音楽はとても優しい。
生活の便宜さが増大し、芸術が完成にむかい、奢侈が広まるあいだに、真の勇気は萎靡し、武徳は消滅します。そして、これもやはり学問と、暗い小部屋の中でみがかれる、あのすべての芸術のしわざなのです。ゴート人がギリシアを荒しまわった時に、すべての書物が焼かれなかったのは、ゴート人の一人がいいふらした、次のような意見によってにほかなりません。すなわち、敵の関心を軍事訓練からそらさせ、敵を無為な家内の仕事に楽しませるのに、かくも適切な家具は、敵の手の中に残しておかなければならない、という意見でした。
~ルソー著/前川貞次郎訳「学問芸術論」(岩波文庫)P40
ルソーは、人間の堕落の原因を学問や芸術に認めたのである。それは確かに当を得ているだろう。すなわち、余分な(あくまで余分な)知識こそが、人間をいわゆる常識に執らわれるようにさせ、本質を見抜けない動物にしてしまったと説くのだ。
彼の主著「社会契約論」の原点がここにある。
また、一方の「人間不平等起源論」序文には次のようにある。
人間をすでに出来上がった姿で見ることしか教えてくれない学問上の書物はすべてすておいて、人間の魂の最初のもっとも単純なはたらきについて省察してみると、私はそこに理性に先立つ二つの原理が認められるように思う。その一つはわれわれの安寧と自己保存とについて、熱烈な関心をわれわれにもたせるものであり、もう一つはあらゆる感性的存在、主としてわれわれの同胞が滅び、または苦しむのを見ることに、自然な嫌悪を起こさせるものである。
~ルソー著/本田喜代治・平岡昇訳「人間不平等起源論」(岩波文庫)P30-31
ルソーの主張は概ね正しいのだろう。人類がいかに一つにつながるか、それはもはや慈しみを持ってしかないことを彼は語る。そしてまたルソーは本論でこういうのだ。
おお人間よ、お前がどこの国の人であろうと、お前がどんな意見を持っていようと、聴くがよい。以下に述べることこそ、嘘つきの、お前の同胞たちの書物のなかにではなく、断じて嘘をつかない自然のなかで、私が読みとったと思ったとおりのお前の歴史なのだ。自然から由来するものはすべて真実であろう。
~同上書P39
その昔、東西の思想家たちは人が何のために生まれてきたのか、その目的はたぶんわかっていたのだろうと思う。たった一つ、その目的を完遂する法がいまだ表に出ていなかった、そこだけが問題だったのである。
ルソーは考える。そしてまた、(国境やイデオロギーさえ超える)音楽をも創造する。
唱歌「むすんでひらいて」の原曲は、なんとジャン=ジャック・ルソーの作曲だということを知らない人も多いだろう。1753年に初演された歌劇「村の占い師」の第8場パントマイムにその音楽を見出すことができる(このオペラの翻案をもとに12歳のモーツァルトが歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」を作曲した)。
パントマイムのシーンは明朗だ。
ただし、唱歌の旋律はそのままではない。よくよく耳を凝らすと確かにあの有名な旋律が浮かび上がるという程度のものだ。
オペラ全曲はそれでも簡潔にして軽快、音楽そのものを十分堪能できる。
むすんでひらいて・手をうって・むすんで
またひらいて・手をうって・その手を上に
むすんでひらいて・手をうって・むすんで
またひらいて・手をうって・その手を下に
むすんでひらいて・手をうって・むすんで
またひらいて・手をうって・その手を頭に
むすんでひらいて・手をうって・むすんで
またひらいて・手をうって・その手をひざに
むすんで・ひらいて・手をうって・むすんで
(作詞者不詳)
詩の真意はこちらに詳しい。
ところで、すべてこれらの問題を取り巻くさまざまな困難が、人間と動物とのこの差異についてなおいくらか論議の余地を残しているとしても、もう一つ、両者を区別して、なんらの異議もありえない、きわめて特殊な特質が存在する。それは自己を改善(完成)する能力である。すなわち、周囲の事情に助けられて、すべての他の能力をつぎつぎに発展させ、われわれのあいだでは種にもまた個体にも存在するあの能力である。
~同上書P53
ルソーから讃美歌、唱歌、軍歌を経て同様につながったという偶然。恐るべし。
※過去記事(2019年8月22日)