ポゴレリッチの「エリーゼのために」を聴いて思ふ

pogorelich_ricitalルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」には、タッジオが「エリーゼのために」の主題のみを単旋律で繰り返し弾くシーンがある。トーマス・マンの原作にはない場面だが、いかにも唐突でヴィスコンティの意図を測りあぐねていたところ、集英社文庫版に大いなるヒントがあった。それは、荷物が誤ってリドに送られたことで、アッシェンバッハが仕方なしに(?)ホテルに戻った直後の描写。

ただこのヴェネツィアに限って、彼を魅了し、彼の意志を弛緩させ、彼を幸福にするのであった。午前中にはしばしば彼の小屋の前に張った日覆いの下で、南国の海の青さを夢見心地で眺めたり、あるいはまたなまあたたかい夜にサン・マルコの広場で時間潰しをしたりしたあと、星のまばたく夜空の下を、リドまで乗って行くゴンドラのクッションに身を凭せかけながら、色とりどりの灯りやセレナーデの甘ったるい響きを後ろに残して水の上を滑って行ったりするとき、山地にある別荘のことが、ふと彼の念頭をかすめることがあった。雲が低く庭の上に漂い、恐ろしい嵐が晩に家中の灯りを消してしまい、彼が餌をやる烏どもが梢で舞っているあの夏の苦闘の場所である。そんなとき、彼は自分がいまエリシウムの地につれてこられたように思うことがあった。
圓子修平訳(集英社文庫)P75-76

ちなみに、岩波文庫版ではこの箇所は以下の通り。

ただこの土地だけはかれを魔法にかけ、かれの意欲をゆるめ、かれを幸福にした。よく午前中、自分の小屋の日よけの下で、南国の海の紺青をながめてぼんやり夢みながら、あるいはまたなまあたたかい夜、サン・マルコの広場に長い時をすごしたあと、そこから大きな星のかがやく空のもとを、リドまでのってかえるゴンドラの、クッションに身をもたせながら―するとにぎやかな灯火や、セレナアドのとけるような響きが、あとにとり残されて行くのだが―かれは山地にある自分の別荘のことを、雲が低く庭を横切って走り、おそろしい雷雨が夜、家の灯りを消してしまい、そしてかれのかっているからすどもが松のこずえで舞っている、あの夏の力闘の場所のことを、思い起こすのであった。そういう折、かれははるかに仙境へ、地球の果てへきてしまっているように思うことがよくあった。
実吉捷郎訳(岩波文庫)P66-67

いっそのこと新潮文庫版は・・・。

ただこのヴェニスという土地にかぎって、彼を魅了し、彼の意欲を弛緩させ、彼を幸福にした。午前中などにはよく自分の小屋の前に張った日覆いの下で南の国の海の碧さを夢見心地で眺めたり、あるいはまた生温かい夜などをサン・マルコの広場で時間潰しをしたりしたあと、またそこから大きな星のまたたく夜空の下を、リドまで乗って行くゴンドラのクッションに身をもたせかけながら、賑やかな灯りやセレナーデの甘たるい響きをうしろに残して水の上を滑って行ったりするとき、山地にある別荘のことがふと彼の念頭をかすめ過ぎることがあった。雲が低く庭を流れて、夕方になると恐ろしい嵐が家中の灯火を消してしまい、彼が餌をやる鴉どもが高い松の梢をめぐって飛んでいる、あの夏の蝋くんの場所である。そんな時、彼には自分が今、この世ならぬ境に連れてこられているように思うことがある。
高橋義孝訳(新潮文庫)P190

多少の言い回しの違いがあるにせよ、集英社版と新潮社版は言葉の選び方含めそっくり。問題は実吉氏が「仙境、地球の果て」と訳され、高橋氏が「この世ならぬ境」と訳された箇所だ。圓子氏の訳では「エリシウム」となっていることから、ここはおそらくマンの原書では”Elysium”という単語だろうと思われる。

そこで、以前紹介した古山和男氏の「秘密諜報員ベートーヴェン」をひもといてみよう。ほとんど創作に近いと思える、あるいは考え過ぎのきらいもなくはないある意味「空想」の類だが、妙に説得力がある。この人の新説を知ったとき、思わず僕は膝を打った。

しかし、「Elise」と「Therese」では、明らかにスペルが違う。いくら悪筆でも、これほどの読み間違い(書き間違い?)をするであろうか?私は、やはりこの曲は「エリーゼ」(正確には「エリゼ」)と書かれていたのだと思っている。そして、これこそが、革命思想の持ち主ベートーヴェンが隠した「メッセージ」だと考えている。
「エリゼ」=「Elise」「Elysée」は、ラテン語で「Elysium」=「エリジウム」のことである。「エリジウム」とは「自由の女神」の住む「天界」のことであり、転じて「自由を得た地上の国」を意味する。従って曲名の「エリゼに向けて」は、「自由をこの地上に希求する」と解釈することができる。
古山和男著「秘密諜報員ベートーヴェン」P123

果たしてヴィスコンティがベートーヴェンの名曲をそこまで深読みしてあのシーンを創作したのかどうかは定かでない。しかし、それがたとえ偶然の産物だとしても出来過ぎているように僕には思える。アッシェンバッハのヴェニスでの死は必然だったということ。永遠の美を希求するがあまり、タッジオ少年にその美を委ね、そして「それとともに死すること」は彼にとって永遠の自由を手にすることだったということだ。

「ベニスに死す」に触発され、バガテル「エリーゼのために」。
2007年1月12日にサントリーホールで聴いたイーヴォ・ポゴレリッチの実演が唯一無二。そして、あの崇高な「エリーゼのために」こそ、トーマス・マンが描き、ルキノ・ヴィスコンティが託した美を再現する最高の演奏だったと僕は断言する。

ちなみに、当然この時のものではないが、ポゴレリッチの「エリーゼのために」は映像で残されている。独自の解釈ながら、まだ「あちらの世界」に足を踏み入れていなかった若きポゴレリッチ不朽の名演奏。

イーヴォ・ポゴレリッチ・リサイタル
J.S.バッハ:
・イギリス組曲第2番イ短調BWV807
・イギリス組曲第3番ト短調BWV808(1986.10収録)
スカルラッティ:
・ソナタハ長調K.487
・ソナタホ長調K.20
・ソナタホ短調K.98
・ソナタト短調K.450
・ソナタニ短調K.1
・ソナタハ長調K.159
ベートーヴェン:
・ピアノソナタ第11番変ロ長調作品22
・バガテルイ短調WoO.59「エリーゼのために」(1987.1収録)
イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ)

何という絶妙な音の移ろい・・・。音楽が生きている。
これこそ自由と歓喜へのマジック!!

 

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