
宗教に人の思念が直接的に影響していることの証、否、宗教はあくまで人が拵えたものだという証だ。
根っこは同じものであるのに、人の思念が入り込むことで争いや諍いの種になるのだから、思想というものの恐ろしさ(もちろん正の側面もあるけれど)。
線香花火の如くの最後の輝きか。
かつてパリではじめてギリシア正教の教会に入ったとき、同じキリスト教でありながら、カトリックとこうも違うものかと驚いたことがある。無装飾なプロテスタントの教会とカトリックのそれとの差異よりも、もっと異質な何かがそこにあるように感じられた。たしかにカトリック教会も壮麗な趣味で飾りたてる。とくにバロック—それもドイツや東ヨーロッパのバロックになると、過剰な装飾は限度をこえ、息苦しくさえある。それはあたかもぼくらの想像力を炎のような渦巻の奔騰に同化させ、別個の人間に仕立てあげようとしているかのように見える。
しかし同じ壮麗な装飾にあっても、ギリシア正教のそれは、どこかひどく敬虔であり、田舎臭く、生真面目なのだ。おそらく金色の枝付燭台や聖具や天井装飾や柱頭飾りのほかに、内陣と信徒席の間に立つイコノスタシスがあって、そこにキリストやマリアや預言者たちの姿が並んでいるためであろう。
「ロシア 幻想の旅から」
~「辻邦生全集17」(新潮社)P85-86
「敬虔であり、田舎臭く、生真面目だ」という見え方が興味深い。そして、そういう見え方の背面にイコンの存在があることを辻は指摘する。
辻は、別の機会にスペインを訪れたとき、バレンシアの美術館で大量のイコンに出逢う。
とにかくこんな都会にこれだけのイコンがあるのだ。としたらヨーロッパの都会にはどれだけのイコンがばら撒かれていることだろう。もちろん亡命ロシア人たちがさまざまな状況のなかで手放したものだろう。だが、とにかくこれだけのイコンが革命騒ぎのさなかに持ち出されたのだ。彼らは家財道具は棄ててもイコンだけは持ち歩いたのであろう。
~同上書P87
少なくとも亡命ロシア人には信仰はあった。
もちろんそうでないロシア人にも(表には出さないまでも)本当は強い信仰があったのだろうと思う。
イコンは聖なる存在であり、守護神であり、礼拝の対象であり、魔よけであった。人々は今の東南角にかならずイコンを飾った。各自の部屋にも飾った。書斎にも飾った。馬小屋にさえイコンは置かれた。旅ゆく人は小型のイコンを懐に入れた。イコンとともにいて人々は悪魔から身を守ることができた。
~同上書P87
信仰はロシアの人々すべてにあった。
ドストエフスキーにも、そしてムソルグスキーにも。
それは、ドストエフスキーの小説を読めば明らかだ、そしてムソルグスキーの音楽にも明らかだ。
彼の思考は公式やカテゴリーとは無縁である。彼は過ちとともに、ただしキリストのもとにとどまる方を選ぶ。つまり理論上の真理、公式という名の真理、命題という名の真理を拒絶するのである。きわめて特徴的なのは、理想的形象に向かって問いかける態度(「キリストならばどうしただろう?」)である。つまりキリストに向けられた内的な対話の姿勢、キリストと一体化するのではなく、キリストにつき従ってゆこうとする姿勢である。
~ミハイル・バフチン/望月哲男・鈴木淳一訳「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)P201
原典はもっと泥臭く、そして前衛的だっただろう。
それを、外面を磨き上げ、いかにもとっつきやすくしたのがリムスキー=コルサコフの仕事だった。洗練された音楽はムソルグスキーの真意をつかむものではない。しかし、大衆にはとっつき良かった。何より作品に一層磨きをかけたのがシャルル・デュトワの棒だった。
整理整頓され尽くした感のあるリムスキー=コルサコフ版の幻想。
赤裸々な信仰心までも(ある意味)スポイルしてしまう錬磨は、イコンを手放した亡命ロシア人の出し殻のような音楽となり下がるといえば大袈裟か(リリース時はとても感動したのだけれど、人の感覚というのはえらく変わるものだ。久しぶりに聴いてそんなことを思った)。
ただし、この録音がまったく無価値だというのではない。オーケストラの大いなる威力、そしてムソルグスキーの音楽の持つ意志力を見事に表現し、同時にリムスキー=コルサコフとラヴェルの「ムソルグスキー愛」をこれほどまでに感じさせる演奏が他にあろうか。