帰省

mozart_walter_38.jpg8日間の夏休みが終わった。あっという間だったが、久しぶりの長期休暇で充電もばっちりでき、たくさんの方々との交流を楽しめとても充実した期間だった。
前半は岐阜県瑞浪市でゆっくりと過ごし、13日(水)に滋賀県信楽町へ。お盆期間中、毎年我が実家は大勢の親戚が集まり、賑わう時。実家のリビングでの愛知とし子リサイタルには近所のたくさんの方々にご参加いただき、大いに楽しんでいただけたようだし、さらには、信楽町文化協会主催によるリサイタル(2009年3月)のオファーまでいただき、その会場下見もできたことが収穫だった。

 

ところで、14日(木)と15日(金)は2日続けて朝から飯道神社詣。お盆中だからか(どうか不明だが)、不思議なことに神様が不在のような雰囲気。正月や3月に来た時に比べて何かが違う(どうも神聖な感じが薄れているような・・・)。

今朝、8時前に登山口の鳥居をくぐり、20分ほどかけて山を登り、飯道神社に三度お参りした。高原は未明から信じられないような涼しさ(というよりむしろ寒いくらい)で、薄手のタオルケット1枚じゃとてもじゃないが寝てられなかったくらい。実に秋の気配たっぷりの爽快な涼しさ。それに、お盆も終わったからか、神様が戻ってこられたような感じがする(目に見えない世界のことについては信じて疑わない性質だが、実際に見えたり聴こえたりする能力を持ち合わせていないので、あくまで感覚的なものなのだが)。そういうことってあるのでしょうか?どなたか神社における神の在・不在について詳しい方、教えてください。

モーツァルト:交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

名古屋からの手持ち無沙汰の車中、久しぶりにwalkmanを手にして聴いたのがこの曲。いわずとしれた名盤中の名盤。若い頃から繰り返し聴いている音盤なので、もはや滅多に聴くことはないが、ワルターのモーツァルトはいつ聴いても良い。
それにこの「プラハ」という曲は、神の子モーツァルトが物理的にも精神的にも充実していた最盛期の作で、ある意味後の3大交響曲より上、という人もいるくらいの傑作である。

ちなみに、この後、ゲルギエフによるショスタコーヴィチの「レニングラード」交響曲を聴きながら、「作曲家◎人と作品・ショスタコーヴィチ」(音楽之友社刊)を読みきった。簡潔かつ具体的にまとめられており、読みやすくて実に面白い。

※なお、本アルバムのカップリング曲は第40番ト短調K.550。

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