
25年前の夏、僕はサンクトペテルブルクを訪れる予定だった。
しかし、諸事情で直前にその旅行はキャンセルになった。かの都市はこの四半世紀で随分変貌しただろう。あのときは、20世紀のロシアを見治めるための旅という意味合いもあったから、キャンセルは今もって(時間を止めることはできず、もちろん買うこともできず、時計の針を戻すことも不可能なのだからどうにもならないとはいえ)残念でならない。
教会のなかは五百人近い人々で埋まっていた。広い会堂の九分通りが埋めつくされている感じであった。信者の大半は黒い服を着て、頭から布をかぶった老人たちであった。しかし若い男女も少くなかった。祭壇に近い柱のそばに、細面の、綺麗な若い女が立って、時どき口を動かして何かを唱えながら、鳶色の眼で虚空を見つめていた。放心したようなその横顔に苦痛を耐えているような表情が浮かんでいた。服装や挙措からみてかなり上流の知的な感じの女性であったが、いったいレーニン主義の国で何を祈っているのであろうか。と、しばらく哀しみを湛えた眉のあたりを見つめていた。子供を失った悲しみかもしれないし、両親の病気治癒を祈っていたのかもしれない。あるいはまったく現世的なものを越えた罪と救済について神と語っていたのかもしれない。その祈りの内容はともあれ、この熱烈なミサに加わらなくてはいられぬ何かを彼女は持っているのだ。そしてそれはレーニン主義でも、五ヵ年計画でもどうにもならない。
~「辻邦生全集17」(新潮社)P102-103
辻邦生が見た、ウクライナはキエフ(現キーウ)の聖ウラジーミル教会の壮麗なるミサの光景。人の心は真の意味でコントロールできるものではない。人が祈る姿は何にせよ美しい。
ロマノフ王朝が支配するロシア帝国とはどんなものだったのだろう。
あるいは、ロシア革命後のプロレタリアートによる国家の内情(独裁国家の内側)とは実際のところどんなものだったのだろう。種々妄想、空想ある中で思い描くソヴィエト音楽とはまた相を異にする、多くの問題を孕んだ19世紀のロシアの音楽にある真の憂愁、あるいは浪漫。
いずれにしても作者トルストイは、このロマンをアンナひとりの悲恋にしぼることなく、アンナとヴロンスキーの報われぬ激しい恋に対して、リョーヴィンとキチイとの幸せな結婚を配し、それによって虚偽にみちた上流社会の都会生活と地方地主の明るい田園生活を対比している。すなわち、アンナとヴロンスキーの道ならぬ苦悩にみちた痛ましい恋が激しくすすむにつれて、一方ではリョーヴィンとキチイとの、結婚にいたる万人に祝福された愛の調べが穏やかに奏でられていく。この二組の、まったく異質な情熱の調べは、オブロンスキー夫妻という存在によって互いに関連しあいながら、全体として一つの統一された緊張した世界を形づくっている。こうして作者はこのロマンの世界をペテルブルグ、モスクワ、農村、外国の四つの舞台にくりひろげ、当時のロシア世界のあらゆる問題を捉えながら、家庭的・心理的であると同時に、社会的なロマンを完成させたのである。
解説「トルストイ 人と作品」
~トルストイ/木村浩「アンナ・カレーニナ(下)」(新潮文庫)P561-562
壮大なる世界を描き出したトルストイにあってチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」に涙したというのだから、音楽作品とは大きなでもなければ真新しさでもない。人の心をとらえるのは旋律なのか、はたまた律動なのか。
19世紀末から20世紀にかけてのロシア(ソヴィエト連邦)は名曲の宝庫。
音楽の変遷は多様だけれど、ロシアの作曲家による古の音楽の、ヨーロッパ音楽にはない、彼らの内面に滔々と流れる赤裸々な信仰というものに僕は惹かれる。
そして、不滅のボロディン四重奏団の演奏は、大地に根付いた力強さがあり、細部にまで祖国愛に溢れている。
「まあ、あなたがなにもおっしゃらなかったものとして、ぼくもなにひとつむりはいいませんから」彼はいった。「ただ、ご自分でもおわかりでしょうが、ぼくに必要なのは友情じゃありません。この世でぼくを幸福にするただ一つのものは、そう、あなたの大きらいなあのひと言・・・ええ、恋です・・・」
「恋・・・」アンナは口の中でゆっくりと、それを鸚鵡返しにいった。が、不意に、レースをはずしながら、こうつけ足した。「あたしがこの言葉をきらいなのは、それが自分にあまりに深い意味をもっているからなんですの。ええ、あなたのお察しになれるよりずっと深い意味をね」そういって、彼女は相手の顔をちらっとながめた。「では、いずれまた!」
~トルストイ/木村浩「アンナ・カレーニナ(上)」(新潮文庫)P290-291
アンナのモラルに守られた抵抗の壁が崩れ始める瞬間の、恋の始まり。