ムーティ指揮ウィーン・フィル ハイドン「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」(1982.8.25Live)を聴いて思ふ

ヨーゼフ・ハイドン作曲「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。
1785年頃、スペインの港町カディスの爵位をもつ有名な司祭サンタマリアのホセ・サルーズ博士の依頼によって書き上げられたといわれる傑作。序奏マエストーソ・エド・アダージョ冒頭の主題は、初めて耳にしたときどこかで聴いたものだと僕は感じた。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」。
1783年3月完成の傑作。第1楽章アレグロ・コン・スピーリトの主題は、調は異なれど先のハイドンの作品と旋律が相似形。それは偶然かもしれないが、あるいはハイドンが拝借したとも考えられなくはない。
大久保一氏は、「ハフナー」交響曲について「ソナタ形式で書かれた両端楽章の形式表現はとりわけ意欲的であり、ウィーンでの新しい音楽体験の核心を知らせている。ハイドンの影響は、第1楽章の単一主題性と第4楽章の機知に富んだ構成にみることができる」と指摘しているが、同時代を生きた親子ほど年齢の違う二人の巨匠は、師が弟子にだけでなく、互いに影響を及ぼし合っていたのだとも言えまいか。勝手な空想が面白い。

連綿と綴られる序奏と7つのソナタ、そして「地震」と称される終曲、終曲を除くすべてが緩徐楽章で構成される「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。作曲者をして「聴くものを疲れさせることなしに、それぞれ約10分のあいだ持続する7つのアダージョを、次々につづけるといった課題は、決して容易なことではなかった」と言わしめた音楽は、峻厳であり、また崇高な雰囲気を醸す渾身のマスターピース。

・ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉Hob.XX:1A
リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1982.8.25Live)

1982年8月、ザルツブルク音楽祭での実況録音。
ライヴとは思えぬ、水を打ったような静寂の中での聖なるパフォーマンス。ムーティの指揮にしては思い入れたっぷりであり、また、涙ながらの重みのある音に何とも心を動かされる。

「女よ」
だれかが彼女に呼びかけていた。
「女よ」朝のなかをつきぬけて耳にひびく、すきとおった声だった。
「女よ、なぜ泣いているのか」
泣きじゃくって息を荒らげたマリアは目をあげ、園丁が来たのだと思った。
「主がはこび去られてしまったからです」彼女はすすり泣いた。「そしてどこに置かれているかもわかりません」
男は言った、「だれをさがしているのか」
「ああ、あなたが彼をはこんでいったなら、どこだか教えてください。そうしたらわたしが彼を引き取りますから」マリアは立ち上りながら言った。
男は彼女の正面で立ち止まった—長く黒い髪が、涙をとおしてみえた。白い上着。ひげはきれいに剃られていた。
しずかでなじみのある声で男は言った、「ああ、マリアよ」
彼女は息をのんだ。
目をこらすと、美しいひたい、愛する主イエスのカラスのように黒い髪と、ゆるぎない金色のまなざしがみえた。
「ラボニ」彼女はさけんだ。

ウォルター・ワンゲリン著/仲村明子訳「小説『聖書』(新約篇)」(徳間書店)P243

音楽の力は、言葉以上に大きい。作曲者の創造の力とは何て偉大なのだろう。

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