クリップス指揮コンセルトヘボウ管 モーツァルト「ジュピター」K.551ほか(1972.6録音)を聴いて思ふ

グレン・グールドは、ヨーゼフ・クリップスのモーツァルトを手放しで賞賛する。

故ヨーゼフ・クリップス―私が畏敬の念をもって思い出すこの共演者、友人は、私に言わせれば、今日最も過小評価されている指揮者です。特に彼のモーツァルト解釈は、まったく魔法のようです。こうした音楽を演奏するには、つまり、こうした完全な均衡、ものがあるべき場所にきちんと収まっている感覚を伝える音楽を演奏するには、たいへんな安心感を抱いていなくてはなりません。この演奏から誰もが受けるのは、バランスに関するあらゆる判断、強弱に関するあらゆる配慮が必然的で、このテンポで聴くことしか考えられないという印象です。私は取りたててモーツァルトの音楽が好きな人間ではありません(この冒瀆的な発言の理由は別の話ではあります)。しかしクリップスの指揮で聴くと、あらゆる不満があっさりと消え去ってしまいます。
ジョン・P・ロバーツ編/宮澤淳一訳「グレン・グールド発言集」(みすず書房)P49-50

気難し屋のグールドをここまで言わせるクリップスのモーツァルトの素晴らしさとは一体何なのだろう?
あくまで自然体でありながら、浪漫に包み込まれる、慈愛の音楽。こころからホッとする瞬間に出逢える、優美な音調。例えば、第39番変ホ長調K.543第1楽章序奏アダージョの、他では聴けない、レガート気味での演奏に、一瞬別世界にトリップしたような感覚に晒される「あれ」こそが、ヨーゼフ・クリップスのマジックである。その後も、音楽は淡々と奏される。しかし、そこにはモーツァルトへの尋常ならざる愛がこもる。

モーツァルト:
・交響曲第39番変ホ長調K.543
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
ヨーゼフ・クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1972.6録音)

「ジュピター」交響曲が脱力の美しさ。

彼の解釈はロマン派的な自己表出の試みでもありません。フルトヴェングラーやメンゲルベルクやストコフスキーに代表される伝統―すなわち、強烈な個性や、それこそ自己耽溺までもが込められる伝統—は、クリップスには無縁でした。また、これもヴァインガルトナーと同様ですが、彼はロマン派と対峙する意味であくまで古典派でした。
~同上書P50

「完全なる均衡」を重視するグールドにあって、おそらくクリップスの指揮する「ジュピター」交響曲は完璧であろう。どの瞬間も貴い。しかし、最高とすべきはやはりモーツァルト芸術の結集たる終楽章モルト・アレグロのひらめきに溢れる、安心の音楽か(フーガの魔法!)。

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