小澤征爾のボストン・シンフォニーでの最後の公演はマーラーの交響曲第9番だった。
指揮者が登場するや聴衆の猛烈な拍手喝采が、小澤がどれだけボストンの人々に愛されていたかを十分物語る。そして、そのときの演奏は、「超」のつく名演奏だった。
「世界のオザワ」は世界中の音楽好きに愛されていた。一度指揮台に立てば500万円という報酬が手に入ったそうだし、そのほかにも音楽監督としてのお金が数千万という単位で入り、年収は3億円を下らないといわれていた。資産も何十億というほどの成功者であったが、一方で遺産相続をめぐる家内の争いも報道されており(真偽は定かではないが)、生きることの難しさを思う。
僕はベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」における名言を思い出す。
そこにはハイリゲンシュタット滞在の半年間の生活ぶりや苦悩が赤裸々に語られているが、楽聖はその後半、弟たちに向け、次のような言葉を残している。
おまえたちが私に不快なことをしたのは、おまえたちも分かっているように、もうずっと前から許している。おまえ、弟カールにはさらにとりわけこの最後の近々の時期に私に示してくれたおまえの親切に感謝している。
私の願いは、おまえたちには私よりも良い、心配のない人生となること、おまえたちの子供たちには徳を薦めよ、それだけが幸せにする、金ではない。私は経験から言うのだが、私自身を悲惨のなかで救ったのもこれであり、私は私の芸術とともにそれにも感謝している、私が自殺によって私の人生を終わらせなかったことを。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P505
許すことと感謝をすること。そして何より「徳積み」の重要性を、何と31歳のベートーヴェンはわかっていたことが驚異だ。
仙佛の言葉には、次のようなものがある。
お金を残すと子孫に争いを生むが、徳を残すと末代にわたって真の幸福を普くもたらす。
それは小澤征爾自身が企図したものでなく、もちろん彼自身が悪いわけではない。しかし、僕たち誰においても功罪があることを忘れてはならない。そして、いまやすべてが因果の清算の中にあり、罪を清算するための功徳を、陰徳を生きているうちにどれだけ積めるか、それに尽きるのだと僕は思う。
ところで、小澤征爾指揮ボストン交響楽団によるマーラーの第9番は、本当に素晴らしい演奏だ。指揮者のそれまでの感謝の念と、音楽への奉仕の精神、それこそ音楽によって世界平和をもたらそうとする「世界のオザワ」の思念が乗り移った最高のマーラーがそこにはあった。
・マーラー:交響曲第9番ニ長調
小澤征爾指揮ボストン交響楽団(2002.4.20Live)
ハイドンからモーツァルト、そしてベートーヴェンによって完成された交響曲の形は、ロマン派の巨匠たちの物語を経て、ブラームスやブルックナーに及び、ついには世紀末から20世紀初頭、マーラーによって一旦完成形を見るも、ポスト・マーラーとしてシベリウスやショスタコーヴィチにまで引き継がれていった。
中で、世紀末の絢爛と頽廃の色を濃く帯びるマーラーの最後のシンフォニーは、本人がその音を聴かないまま急逝したこともあり、真の意味での完成に至っておらず、指揮者の力量が如実に顕れる。
端正でありながら力強い小澤のマーラーは、粘着質でなく、また決して情感移入激しいものでもなく、小澤らしく楽譜の隅々までも丁寧に音化した(しかも例によって暗譜で)冷静で素晴らしいものだ。
全編を通じて楽員が真摯に「感じている」のが手に取るようにわかる。指揮棒を持たず指揮をする小澤の掌の動きに機敏に反応し、宙から音楽が紡がれる。別離を歌う第1楽章アナダンテ・コモドから尋常ならぬ集中力で、死という想念を決して湿っぽいものにしない、活力と希望に満ちる音楽として昇華する。音調はそのまま第2楽章レントラーへと引き継がれ、第3楽章ロンド=ブルレスケにおいていかにも人間らしい「お道化」が表現される(マーラーの常套手段をどれほど上手く表現するか)。終楽章アダージョの天に昇る(リアルな)美しさ。アダージッシモのコーダ、そして「死に絶えるように」という指示の最後の小節のあまりの神々しさだが、残念ながらここはどうしても録音に入りきらない(終演後の聴衆の静かな感動の様子からその素晴らしさを想像するしかない)。