トスカニーニ指揮フィルハーモニア管のブラームス第4番ほか(1952.10.1Live)を聴いて思ふ

宿泊先のホテルで読んだ新聞に、すきやばし次郎の小野二郎さんへのインタビュー記事があった。

和食を守るとか伝えるとかってあまり考えたことはないよね。誰が食べてもおいしいと感じてもらえるすしを握り続けているだけ。それが仕事だし、それしかできない。職人っていうのはそういうもの。92歳になりますが、今でも毎日、つけ場(すしを握るカウンターの内側)に立ちます。
~2018年4月5日付讀賣新聞

ただ目の前の仕事を淡々と、そして愚直にやり続けることは決して簡単なことではない。しかし、好きでそれを続け、しかも他人様に喜んでいただけるなら、それは結果的に「伝統」を維持することにつながる。老練の尊さ、美しさというもの。

アルトゥーロ・トスカニーニ最晩年の恐るべき客演の記録。
生涯でたった一度きりフィルハーモニア管弦楽団を振ってのブラームスの全交響曲は、いずれもが「超」の付く名演奏で、音質も極めて良好、僕たちを集中力富む灼熱の世界に誘ってくれる。

トスカニーニの音楽は見事に現実的。
音の塊がすべてを翻弄し、どんな突発的な出来事も飲み込み、ものともしない。

交響曲第3番第1楽章アレグロ・コン・ブリオ。
第1主題の出からあまりにも衝撃的かつ有機的。造形は実に端整で、また見通しが良い。第2楽章アンダンテから湧き立つ「懐かしさ」。木管の悲しげな音色に心動き、弦の重厚なうねりに当時のフィルハーモニアの抜群の音楽的力量を痛感する。
第3楽章ポコ・アレグレットが泣く。何と思いのこもった「切なさ」よ。そして、終楽章アレグロ―ウン・ポコ・ソステヌートにあるのは、解放のドラマ。金管が咆え、ティンパニは轟き、血沸き肉躍るブラームスに僕は思わず卒倒する。何よりコーダでの第1楽章第1主題の回帰にため息が漏れる。

・英国国家
ブラームス:
・ハイドンの主題による変奏曲作品56a
・交響曲第3番ヘ長調作品90
・交響曲第4番ホ短調作品98
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.10.1Live)

第4番ホ短調の浪漫は、即物的と位置づけられるトスカニーニの面目躍如たる壮絶で豊饒な歌。第1楽章アレグロ・ノン・トロッポでの、時の経過とともに突進する音楽の壮絶さ。あるいは、第2楽章アンダンテ・モデラートのふくよかな歌。さらに、爆発する第3楽章アレグロ・ジョコーソのカタルシスと終楽章アレグロ・エネルギーコ・エ・パショナートの凝縮された音楽の闘争。

初めて聴いたとき、終楽章シャコンヌ第12変奏以降、静かな場面で幾度かパーンという音がするのに僕は驚いた。いろいろと調べてみると、それは何と当日会場で心無い誰かが爆竹を打ち鳴らした結果だったという。何もなかったかのような体で音楽は進むが、さぞかし指揮者やオーケストラは動揺したことだろう。そういう事故までもが刻印された貴重なドキュメント。いずれにせよ実況の記録が残されていて良かった。
終演後の猛烈な拍手喝采が、聴衆の感動の質の高さを物語る。

 

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