ハンサムボーイ~クレンペラーのモーツァルト

yosui_inoue_handsomeboy.jpgこの9月で転機を迎える人々が多いようだ。就職にせよ転職にせよ、あるいは結婚や離婚という問題にせよ自らが思うがままに行動するのが正解なんだと思う。自身を信じ、物事を選択すること。それが大事なんだと僕は思う。

NHK-Eで一昨日から「LIFE井上陽水~40年を語る」という4夜連続の番組が放映されている。本日は第3夜、「不思議な素顔」。陽水はテレビっ子らしい。そして、彼の生み出す、不可思議な歌詞を含む「不思議な」一面は、いかにも現代人っぽい高いアンテナが張られた結果なんだということがよくわかって面白かった。彼は言う。「世の中でもっとも重要なのは涙を誘うこと、あるいは普通に感動を与えることよりも『笑いを与えられる』ウィットなんだ」という言葉が大いに身に染みた。素晴らしい。

80年代の傑作「少年時代」や「最後のニュース」が収録された「ハンサムボーイ」。名盤である。陽水の歌はいつも予想がつかない。重厚な楽曲があるかと思えば、あまりに軽い爽やかな名曲が存在する。

井上陽水:ハンサムボーイ

klemperer_mozart_25.jpgそんなことを思いながら、ふとクレンペラーのモーツァルトを思い出した。
クレンペラーのモーツァルトは、いかにもクレンペラーらしい重い足取りの歌劇「フィガロの結婚」のような音楽作りがあると思えば、例えば交響曲第25番ト短調K.183のように、意外にも速めのテンポで軽快に進めてゆく解釈もあり、一筋縄では想像できない面白さに溢れている。重苦しい(いや重厚といった方がいいかも)テンポのクレンペラーも好きだが、颯爽と駆け抜けるクレンペラーもとても素敵である。
ところで、この音盤にはモーツァルト晩年の作品である「アダージョとフーガハ短調K.546」が収められている。このおよそモーツァルトらしからぬ不気味で、かつ妖艶な音楽を創作する動機は何だったんだろうか?まさに貧困の極致にいたアマデウスの心の襞が投影された哀しげな音楽であり、クレンペラーの表現がツボにはまった傑作だと思う。

ザ・クレンペラー・レガシー
モーツァルト:
・歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」K.588~序曲
・交響曲第25番ト短調K.183
・アダージョとフーガハ短調K.546
・交響曲第29番イ長調K.201
・交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

ところで、11月に内田光子がサントリー・ホールでリサイタルを開く。とても魅力的なプログラムで、中にベートーヴェンの作品101が入っているのを見て即座にチケットをとろうと動いた。しかし、当然のことなのだがあっという間に完売、手に入れ損なった(涙)。同じ月に、日本画の近藤恵三子画伯とのコラボレート公演で愛知とし子が同じく作品101のソナタを採り上げる。片や世界のMitsuko Uchida、一方は知る人ぞ知る(笑)一流女流ピアニスト愛知とし子の演奏をこの目で(耳で)しっかりと比較できるチャンスだったのに・・・。何とか四方八方手を尽くして諦めずにチケット入手を試みようとは思うが・・・。

その内田光子がピアノ弾き振りでモーツァルトの2曲の協奏曲を再録音したので、早速その音盤を手に入れ、聴いてみた。彼女が得意とするK.488とK.491のカップリングだけに期待に胸を膨らませて音響装置の前に陣取った。若き日にジェフリー・テイトの指揮で録音した音盤も愛聴盤で、いずれもその楽曲の代表する音盤であるが、試聴記はもう少しじっくりと新旧両盤を聴き比べ、何度も聴いてからにしようと思う。少なくとも1回耳にした限りでは、明らかに旧盤とは違う内田独自の色に染められた解釈で、天衣無縫なモーツァルト像がそこに見えるように思う。

嗚呼、それにしても久方ぶりの内田光子の実演よ・・・。

3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
昨日8月26日は、本来の七夕の日でした。
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-173/#comments
昨日の名古屋市科学館のプラネタリウムでも、先月の皆既日食の話題とともに、旧暦の七夕を力説していたらしく、娘もしっかりとインプットして帰ったようです。
そこで、昨夜も愛知とし子さんの新しいCD「bathing in the moonlight」を聴きました。本来の七夕の日に聴いて、感動を新たにいたしました。このCDを始めて聴いた時は、良い意味で予想を裏切られ、とても驚いたものです。こんなにも愛知さんの音楽が深化と進化しているなんて・・・。もう愛知さんの奏でる音楽を、直球主体などとは形容できなくなりました。それに曲の並びといい、ベーゼンドルファー(ですよね?)の響きといい最高で、これは、これからの季節も、月や夜空を愛でながら聴くのには、最上のピアノ・アルバムだと断言させていただきます。なお、CD盤の、黒を基調としたレーベル面は、今年の皆既日食もイメージでき、大人の雰囲気と相まって、素敵です。
クレンペラーのモーツァルトも、私は七夕にちなんで、夜のムード満点の「魔笛」をおすすめしましょう。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/843681
クレンペラーとスケールの大きな指揮に加え、ルチア・ポップの「夜の女王」! 、大好きです。
私がお世話になっている、ぶどう園の経営者も手紙でこんなことを言っています。
「近頃私は、旧暦を意識するようになりました。
旧暦は太陰太陽暦といいます。旧暦の一ヵ月は、月の満ち欠けを基本とします。約29.5日。30日と29日の交互で調整します。すると、地球が太陽を一周する365日に、11日足りない。だから2.6年に一度、一年を13ヵ月にする。この増える月が閏(うるう)月。そういうことで、今年は五月が2回ありました。五月と閏五月。旧暦では、四月と五月、六月が夏にあたります。だから今年は夏が長くつづくとなります。旧暦で見れば、梅雨が長いのも、閏五月のゆえかと思います。
月の満ち欠けに注意を向けていると、新月に、旧暦の新しい月がはじまったのかとか、上弦の月に、旧暦の七日か八日かと思うようになりました」
井上陽水がデビューしたのも、人類が初めて月に降り立った、記念すべき1969年ですね。陽水の曲や歌声も、太陽の明るさと、月の影(翳)の、両面があるから深いのだと思っています。
内田光子?、愛知とし子さんのことを書いてしまった日にゃ、もう「両雄並び立たず」でしょうが!、あなた!!(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
そうでした!昨日は旧暦の七夕だったんですね!すっかり忘れてました。ご紹介のぶどう園経営者氏の手紙もなるほどと思いました。昔の日本人の知恵というのはたいしたものですよね。そういう意味では月の満ち欠けで暦をつくった旧暦は見事に理にかなっていると思います。
>こんなにも愛知さんの音楽が深化と進化しているなんて・・・。もう愛知さんの奏でる音楽を、直球主体などとは形容できなくなりました。
いやぁ、お褒めいただいてありがとうございます。本人も感激しております。ちなみに曲の並びは僕が決めました(自慢・・・笑)。ただし、ピアノはベーゼンじゃないんです(スタインウェイ)。
>CD盤の、黒を基調としたレーベル面は、今年の皆既日食もイメージでき、大人の雰囲気と相まって、素敵です。
なるほど。これも実はプリントミスで、本来は「白」を基調にしたレーベル面の予定だったんです。増刷分から「白」に戻して、初版を特別盤にしようと今のところ考えています。
おっしゃるようにクレンペラーの「魔笛」も最高ですよね。ここのところクレンペラーの偉大さを再確認させていただいております。
>井上陽水がデビューしたのも、人類が初めて月に降り立った、記念すべき1969年ですね。
あぁ、そうでした!69年という年は意味深い年ですね。
>内田光子?、愛知とし子さんのことを書いてしまった日にゃ、もう「両雄並び立たず」でしょうが
いや、さすがに内田光子と両雄とはいきませんが・・・(笑)。

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