星新一、そしてメンデルスゾーン

晦日である。星新一が亡くなったのもちょうど10年前のこの日。最相葉月氏の「星新一~1001話をつくった人」を春先の発売と同時に読んだが、取材の行き届いたしっかりとしたドキュメンタリーに仕上げられており、星新一という作家がお坊ちゃん育ちであるにも関わらず様々な苦労を乗り越えながらあえて作家の道を選び、現在の名声を結果的に獲得したのだということがよくわかりとても面白かった。

星製薬の御曹司であった彼は、亡き父の後を継ぎ、社長に就任するも結局は会社を潰し、小説家の道を歩むことになる。
星曰く「憧れて小説家になったのではない。それ以外、道は残されていなかった」

小説家以外道は残されていなかったと彼は言うが、才能なくして「道」も何もない。いわゆるショートショートという独特の小説形態を発案したこと自体大変なことであるし、しかも2007年の今も星新一のショートショートはコンスタントに売れているというから、やはり不屈の努力を重ねながらも「天才性」は秘めていたのだと思う。

メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団

ユダヤ人の富裕な銀行家の息子として生まれたメンデルスゾーンは、幼い頃から音楽の才能に長けるだけでなく、青年期には何ヶ国語も自由に操り、絵画や詩にも長じていたということである。指揮者という職業を独立させたのも彼だといわれているし、バッハの「マタイ受難曲」の復活蘇演やシューベルトの「グレート」交響曲を初演したのもメンデルスゾーンであった。若干38歳という年齢で亡くなってしまう彼だが、やはりその「天才性」は楽曲を聴いてみると明らかである。星新一が七転八倒しながらも「ショートショート」を書き上げた秀才型天才とするならば、メンデルスゾーンは明らかにモーツァルトに通じる真の「天才」。
アマデウスほど普遍的な人気は獲得していないようだが、彼の音楽は聴けば聴くほど「悦び」に溢れた勇気を奮い起こさせてくれる「愛」の音楽であることがよくわかる。ここに挙げた「イタリア」交響曲は、22、3歳の頃、訪問したイタリアの印象をベースに創作された、飛び跳ねるようなリズムと親しみやすいメロディの詰まった傑作交響曲である。

アバドの指揮はきちっとし過ぎる感があり、大抵はあまり面白いものではないのだが、時にマーラーやこのメンデルスゾーンなどに適応性をみせて名演を届けてくれる。ひょっとするとユダヤ系の音楽に強いのかもしれない(バーンスタインとは全く違った意味で)。

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