チョン・トリオの「大公」三重奏曲

beethoven_archduke_chung_trio.jpg柔道、剣道、合気道、華道、茶道など、「道」と名のつく日本古来の文化にはどれも奥深い意味合いが込められている。今から27年前、大学の一般教養の「体育」で、どういうわけか右も左もわからない「弓道」を履修登録し、1年間通った。1回の授業で1回だけ弓を弾けば単位がもらえたわけだから、おそらく楽勝科目ということで選んだのだと記憶する。

実は「弓道」の一挙手一投足には、人生の、いやというより「宇宙の法則」といえるようなすべてが含まれている。まずは的の限りなく中心を射ることを目的、目標とする。そして、その的に矢を当てるために、余計な力を抜き、自然体で弓を弾く。弓を弾き、「当てよう」と狙った瞬間、つまり、意識した瞬間に余分な力が入り、逸らせてしまうのである。そう、無になって、流れに任せることで、好結果を引き寄せる。当てようとするのではなく、当たるのである。目的、目標は明確にし、あとは無理な力をかけず、行動すること。姿勢が正しければ結果は必ずついてくる。

シェアハウスというのが最近は流行っているようだ。共用のスペースがあり、そこでは知らない者同士が集まり、会話が弾み、うちとけあって自然と仲良くなる。初めてそういう場所に足を踏み入れたが、東京のような「隣は何をする人ぞ」的な世界では、人間らしい生活ができてとても良いように思う。もう何年もシェアハウスで暮らしているという女性に聴くと、人間関係など面倒な点も多々あるようだが、結果として長所の方が多く、どうしてもシェアハウス贔屓になるのだと。確かに楽しかろう。年齢も境遇も、時には性別も違う人々が集う場には何か不思議な力が湧き起こるのかもしれない。

先月「早わかりクラシック音楽講座」を中止にしたお陰で、22日の講座は約2ヶ月ぶりということになる。戦争騒ぎによる心身の疲れと、同時に味わった失恋のトラウマと、最悪の状態に陥っていたベー
トーヴェンを救ったのは、パトロンを含む周囲の人々の「想い」であった。人と人とがつながっていることを楽聖も肌で感じたのだろう、幾年かのスランプ期を乗り越え、名作を立て続けに残してゆく。ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96、交響曲第8番ヘ長調作品93、ピアノ三重奏曲第7番変ホ長調作品97「大公」などなど。

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ホ長調作品97「大公」
チョン・トリオ
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
チョン・ミュンファ(チェロ)
チョン・ミュンフン(ピアノ)

チョン・トリオは一時期活発に活動していたが、ある時からとんと噂を聞かなくなった。いつぞやキョンファが引退したという話を聞いてショックを受けたが、実際のところはどうなんだろう?まだまだ引退するような年齢でもないわけだから、できれば真実を知りたいものである。ところで、このトリオの音盤では、チャイコフスキーの「偉大なる芸術家の思い出」が圧倒的に名演であるが、あまり評判にはならなかったと思うベートーヴェンの三重奏曲集も僕は好きである。結局2枚だけで録音はストップしているようだが、そのどれもが熱くなり過ぎず、またクール過ぎず、さすがに兄弟だけあるバランスのとれた粋な熱演なのである。ベートーヴェンの当時の充実した気持ち、最悪の状態から抜け切った解放感など、ポジティブな意気込みがどの音からも感じられる。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
「弓道」やられていたんですか! 格調高いですね、凄いです! ぜひ復活していただきたいものですが・・・。
弓は人類の歴史とともにあり、洋の東西を問わず、ですね。さらに、ヴァイオリン、チェロ、二胡 、胡弓 、馬頭琴、ラバーブ などの 撥絃楽器は、狩猟に使う弓の歴史と密接な関係があると言われていますね。
しかし「弓道」の音楽といえば、何といってもロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」ではないでしょうか?
G. Rossini – William Tell Overture (Finale) – Karajan 1983
http://www.youtube.com/watch?v=JkymTHSbWe0 
・・・・・・テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、罰を受ける事になった。ゲスラーは、クロスボウの名手であるテルが、テルの息子の頭の上に置いた林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると約束した。テルは、息子の頭の上の林檎を矢で射るか、それとも死ぬかを、選択することになった。
1307年11月18日、テルはクロスボウから矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜いた。・・・・・・『ウィキペディア』「ウィリアム・テル」の項より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AB
我が子の頭の上に置いた林檎を矢で射抜く・・・、そんな時、人は果たして「無になって、流れに任せること」が出来るものなのでしょうか?「親子の愛」を意識した途端に「余分な力が入り、逸らせてしまう」のが普通なのでは? オリンピックでもコンクールでも試験でも、本番で平常心を保つって凄いことですが、この場合は究極だと思います。
チョン・キョンファは、家事に忙しく、「弓道」に通じる演奏への集中力が確保できないのではないでしょうか? 子育てをすると、神経が「音楽」より「我が子とのコミニュケーション」に向かうのは、芸術家といえども、人の道、人の親として当然です。そっと見守りたいものです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
「弓道」はやっていたなんてものじゃないです(笑)。
「体育」は教養科目で必修だったどういうわけかたまたま「弓道」を選択したのです。人気科目でしたから抽選だったことは確かですが。
しかし、当時は意味もわからずやってましたから的に当たるはずもなく・・・。
「ウィリアム・テル」の話、おっしゃるとおりですね。
「親子の愛」を意識した途端に「余分な力が入り、逸らせてしまう」のが普通だと僕も思います。それがまた人間らしいところでもあるんですが。
>子育てをすると、神経が「音楽」より「我が子とのコミニュケーション」に向かうのは、芸術家といえども、人の道、人の親として当然です。そっと見守りたいものです。
さすがです。いつの日か余裕ができて復活してくれることを今から楽しみに待ちます。

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アレグロ・コン・ブリオ~第3章 » Blog Archive » もっと自由に、もっと想像力を飛翔させて!!

[…] 愛知とし子による多治見市文化会館での恒例のコンサートが今年も開催される予定だが、そろそろプログラムを決定せねばとあれこれ頭を捻り始めた。詳細はまだまだオフレコだからあえて書かないが、メインになるトリオをどうするかを少しばかり議論した。なるべくヴァイオリンやチェロが華やかに聴こえる楽曲で、それほど有名ではなくとも名曲といわれているものをいくつか挙げてみた。僕としてはベートーヴェンの「大公」を第一に推すが、ピアノ・パートの難易度が高過ぎるということであえなく却下。あとドヴォルザークの「ドゥムキー」か、いっそのことファニー・メンデルスゾーンかクララ・シューマンのものでもやってみればということにもなったが、いずれもピアノが目立ち過ぎるようなのでこれまたパス。で、シューベルトはどうだろうと、カザルス・トリオによる古い録音を久しぶりに取り出して聴き始めた。19世紀ヨーロッパのきらびやかなサロンでの舞踏会風の雰囲気を十分醸し出しており、「これはいいかも!」と考えているところ・・・。 […]

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