ロジェ デュトワ指揮モントリオール響 ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲ほか(1982.6録音)

環境要因含め、個性には遺伝子もろとも引き継がれるようだ。
おそらくそれには誰も抗うことはできない。

ラヴェルは作曲家のなかではもっとも純粋にフランス的と一般に見なされているが、実際はバスクとスイスの文化的な雑種のようなものだった。生後4カ月でパリに連れてこられたものの、バスク生まれであるということは、その想像力に影響を及ぼしており、母親が歌って聞かせた歌のなかにそのつながりは保たれていた。マニュエル・デ・ファリャはスペインを題材にしたラヴェルの作品を「器用に本物っぽい」と評したが、この言葉は作曲家の音楽全体のうまい説明になっている。ラヴェルの父は、世に知られてはいないが、自動車の開発を助けたスイスのエンジニアだった。ガス動力によるラヴェル試作模型の車は、普仏戦争下でのドイツによるパリ爆撃のあいだに粉々になった。ある意味で、ラヴェルの音楽は両親の異なる世界—母親の民俗的世な過去の記憶と父親の機械的な未来の夢—を半々に引き受けている。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽1」(みすず書房)P89

年齢を重ねるにつれモーリス・ラヴェルの天才が身に染みる。
例えば彼はスペインなど行ったことも見たこともないのに、スペイン風の狂詩曲を見事に作曲し、しかもそれを、ファリャをして「本物っぽい」と言わしめるのだからそのセンスは本物以上に本物なのだと思う。単に作曲技術に長けているというレヴェルの問題ではなさそうだ。

人間の潜在意識に刻印される記憶は生半可なものではないのだろう。
過去6万年、幾千回と生々死々を繰返してきたといわれる霊性は、単に今生において記憶を抹消されているだけで、良いことも悪いことも様々体験して来たのに違いない。遺伝子という媒体に奥深く刻み込まれたものを蘇らせるのは創造主との金線であり、それがこの身についた(あるいは持って生まれた)スキルと掛け算を起こし、シナジーを生むのだろうと思う。

パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱によって創作された左手のためのピアノ協奏曲。
モーリス・ラヴェル随一の傑作。

ラヴェル:
・ピアノ協奏曲ト長調M.83(1929-31)
・古風なメヌエットM.7(管弦楽版)(1895/1929)
・左手のためのピアノ協奏曲ニ長調M.82(1929-30)
・海原の小舟(管弦楽版)M.43-3(1905/06)
・バレエ「ジャンヌの扇」のファンファーレM.80(1927)
パスカル・ロジェ(ピアノ)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1982.6.17-25録音)

楽想を一つに統合し、その形式の中にすべてを包み込んだ協奏曲は、興奮を喚起する。

美徳と愛とが融け合っているような魂があったとしたら、それはどんなに幸福なことだろう! おりおりわたしには、愛するということ、できるかぎり愛し、ますます愛するということをほかにして、はたして美徳というものがありうるだろうか疑わしくなってくる・・・わたしにはときどき、悲しいかな、徳というものはただ愛にたいする抵抗だとしか思われなくなる! あろうことか! きわめてあるがままの心の傾きを、あえれ《美徳》と呼ぼうというのだろうか! ああ、心をさそう詭弁よ! もっともらしい誘惑よ! 幸福の陰険なまぼろしよ!
アンドレ・ジッド/山内義雄訳「狭き門」(新潮文庫)P219

肉体を持つ以上、欲を断つことは難しい。
右手を失ったピアニストが委嘱した左手のための作品は、いわば「我なし」の状態で再現できれば最高のものになるのだろうが、ロジェとデュトワによる演奏も実に主観的であり、また色香に溢れる。しかしそれがまたラヴェルらしく、素晴らしい。

過去記事(2017年3月21日)


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