グールドのバッハ パルティータ第5番&6番ほか(1957録音)を聴いて思ふ

bach_partita_5_6_gould726墨色のバッハ。ペダルの多用を避け、ノンレガートで奏されるその音楽は極めて乾いた響きを保つ。
彼は一体誰のために弾いているのだろう?機械仕掛けのようで、しかし人間味に溢れる不思議な音楽。誰のためでもなく、あくまで自らへの実に個人的な信条告白のよう。

昼間の太陽が眩しかった。
満月に近づく今宵の月の光はまた神々しい。僕たちが生かされていることをあらためて思う。限られた時間の中で、誰に出逢うのか、何に出逢うのか、それによってその人の生き方は当然変わる。あの日、あの時、グレン・グールドに出逢ったのが運の尽き。それから僕は長い間、彼の音楽にのめり込んだ。

ピアニストの熊本マリさんはかつて一度だけグレン・グールドに直接会ったという。
そして「演奏を聴いていただきたい」という手紙を彼に送ったところ、次のようなメッセージをもらったのだと。

誰かの演奏を判断する資格は、自分にはありません。仮に私があなたに対して、才能の有無を評価したところで、それがいったいどんな意味をもつでしょう。
あなたの将来はあなたがつくるものなのです。
自分の才能というものは、あなた自身が一番よく知るべきことなのです。
自分自身を信じ、自分の才能をみずから伸ばしてください。
熊本マリ著「人生を幸福にしてくれるピアノの話」(講談社)P110

さすがはグールド。演奏だけでなく、僕は彼が発する言葉のひとつひとつにも感化された。
すべては自らが切り開かねばならないのだ。

J.S.バッハ:
・パルティータ第5番ト長調BWV829(1957.7.29,31&8.1録音)
・フーガ第14番嬰へ短調BWV883~平均律クラヴィーア曲集第2巻(1957.7.30録音)
・フーガ第9番ホ長調BWV878~平均律クラヴィーア曲集第2巻(1957.8.1録音)
・パルティータ第6番ホ短調BWV830(1957.7.29,31&8.1録音)
グレン・グールド(ピアノ)

パルティータホ短調第1曲トッカータが哀しく鳴る。随分長い間耳にしなかったグールドのパルティータは、やっぱり哀しい。第2曲アルマンドの静かな囁き、甘い第3曲クーラントを経て、第4曲アリアの躍動美。また、意味深く奏される第5曲サラバンドの憂いと第6曲テンポ・ディ・ガヴォットの煌めき。終曲ジーグは哲学的な様相を示し、実に興味深い。これこそグレン・グールドの真骨頂。

 

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3 COMMENTS

雅之

グールド、カラヤン、マイルス・デイヴィス、この20世紀におけるレコードの偉大な申し子3人の音楽に通底するのは、「孤独感」かなと思いました。

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雅之

そもそも元来、家で音盤を聴くこと自体、突如20世紀に生まれた孤独な行為でしょう。

それに、カラヤンの映像を観てごらんなさいよ。目をつぶって指揮し、奏者の人間性や個性を度外視し、楽器のみをクローズアップしたり、音楽に合わせて体を揺すったりするのを禁じていたり、あれを近所付き合いが少ないマンションのような「都会人の孤独」と言わずして何と言うかってくらいです。

でも、そんなナルシシズムな孤独もまた、じつは人間的な魅力だったりするから複雑です(笑)。

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