
周辺が慌ただしい中、むしろ作曲家の心は平穏であり、ひたすら音楽の創造に向き合っていたのではないかと想像する。
またシュテファン・ツヴァイクは当時、シュトラウスのつぎのオペラ《無口な女》の台本を執筆していた。2年後、宣伝省は《無口な女》のヴォーカル・スコアに「4人ものユダヤ人」の名前が載っていることに気づいて、動揺した。その4人とは、ツヴァイク、出版人のアドルフ・フュルストナー、ピアノ編曲を行なった作曲家のフェリクス・ヴォルフェス、そして興味深いことにジェイムズ一世時代の劇作家で《エピシーンまたの名無口な女》を書いたベン・ジョンソンであった。シュトラウスのオペラはこの作品にもとづいてはいたが、ジョンソンはユダヤ人ではまったくなかった。
~アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P325
悪夢は始まりつつあった、否、すでに始まっていたのである。
《無口な女》の制作に数人のユダヤ人が関わっていることが分かると、『デア・シュテュルマー』紙は「もし(シュトラウスが)今後の作品にユダヤ人の協力者を使うことを望むなら、あまり楽しくない結論を出さなくてはならないだろう」と論評した。そしてアルベルト・シュペーアののちの回想を信じるとしたら、ヒトラー自身もシュトラウスを「ユダヤ人のくずども」とつるんだ「政権の敵」と見なし始めていた。
~同上書P341-342
歌劇「無口な女」は、抑揚のあまりない、どちらかというと淡々と日常のありさまが描かれる静かなオペラだ。ツヴァイクの台本は面白い、そして肝心のシュトラウスの音楽は、「フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック」からの引用含め滋味溢れる見事な熟練の筆を示す(自作の歌劇「影のない女」、「エレクトラ」ほか、他の作曲家の筆になる「ファウスト」や「魔笛」、あるいは「リゴレット」などからも引用多々)。
ジョン・コルトレーン、またルー・リードの喧騒から逃れるかのように歌劇「無口な女」を聴いた。
1959年はザルツブルク音楽祭祝祭大劇場での歴史的上演記録。
「ポプリ」と題された序曲には、どこか「ファルスタッフ」の音調の木霊が聴こえる。
ベームの演奏は、さすがに初演者だけあり、冒頭から確固たる意志が根付くようだ。それにモロズス卿が出てくると、まるでヴォータンかさすらい人が出てきたかのような空気に豹変するのだからホッターの存在感はすごい。
(あくまで個人的にだが)クライマックスは第2幕第6場、理髪師の「では失礼ながら」ではじまる結婚式のシーンだろうか。18世紀のヴァージナル音楽とシュトラウスの創造の掛け算は、音楽に大いなる生命力をもたらし、実に喜びに満ちる場となる。
聴けば聴くほど味わい深い、滋味あふれる作品だが上演回数は決して多くない(残念ながら僕も舞台には触れていない)。
シュトラウスに言われれば、総統の音楽趣味はやや偏った特殊なものだった。ヒトラーにとってはヴァーグナーが第一だったが、ほかの音楽もいくらかはこのんだという。
「最後に上演された私のオペラ『ダナエの愛』はあっさり無視された。シュテファン・ツヴァイクの台本のおかげで、私がどれほどひどい目にあったかご存知でしょう。それでも『無口な女』のテクストは本当に良くできていたんだ。それに1933年当時の私には、アーリア人条項などというものが施行されるとは予想もできなかった」
~田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P14
シュトラウスの回想には、無念さと同時に自身の作品への自信と愛が垣間見える。