「メルヒオール&トローベル ワーグナー・アリア集」から「トリスタンとイゾルデ」抜粋を聴いて思ふ

melchior_traubel_sing_wagner507時代がかった表現の奥に、魂にまで届く愛の浪漫を思う。
特に、ヘレン・トローベルによるイゾルデと、ラウリッツ・メルヒオールによるトリスタンの濃密な歌。この二人の歌手が直接共演したわけではないのに、2枚のアルバムを聴き進めるうちに、死をもってでしか成就し得なかった愛の形の儚さと、であるがゆえの真実を目の当たりにし、思わず心動く。

私たちは、自身では意識しないまま、その生を生きている、
一日、一日を、次から次にのように、―しかし生きているのは、
その触れることのできない全体であって、それが私たちを詩にする。
(ルー・アンドレーアス・ザロメ)
ルー・アンドレーアス・ザロメ著/山本尤訳「ルー・ザロメ回想録」(ミネルヴァ書房)

彼女が「触れることのできない全体」を認識し、そこから詩、すなわち芸術が生まれ得ることをわかっていたことが驚異的。がしかし、不思議にも彼女は音楽についてはわからなかったと告白する。

バイロイト音楽祭のすべての人を圧倒する出来事そのものについては、ここで私には大きなことは何も言えない。それはあまりにも不当なことでもあった。音楽音痴の耳しか持っていない私はほとんど理解もできず、場違いなところにいるようだったからである。この点で私と比べることのできる人がいるとすれば、それはマルヴィーダの忠実な家政婦のトゥリナで、彼女はひどく恐縮して、恥ずかしそうにしていた。リヒアルト・ヴァーグナーは彼女について予言していた。どんなにひどい音痴でもその耳が治ることもあろう、悟りのように、と。
~同上書P77

そんなはずはない、ここには謙遜の念も入っているだろう。
それに、当時交流のあった(すでにワーグナーと袂を分かっていた)フリードリヒ・ニーチェの影響も多少はあるだろうゆえ、少なくとも「パルジファル」など最新の作品については正直受容し難かったのかも。それにしても、ルー・ザロメのワーグナー家に関する描写がリアルで面白い。

その中心点であるリヒアルト・ヴァーグナーは、横幅はあるが背が低い体格のために、時々水を挙げる噴水のように、ちらちらとしかその姿が見えなかったが、あたりにこの上なく明るい快活さが響き渡っていた。これに対し、コジマがとてつもなく長い引き裾をつけて現れると、その立派な体格のせいもあって、あたりにいる人たちみんなを圧倒してしまっていた―それと同時に彼女は形式的に周囲に距離をとってもいた。いずれにせよ、このいいようもなく魅力的で、高貴な雰囲気を漂わせているご婦人が、マルヴィーダに対する好意から私をも一度は個人的に訪ねて来てくれて、長時間の立ち入った会話をすることができた。
~同上書P76

コジマあってのリヒャルト・ワーグナー。
彼らは確かに歴史の一点で出逢い惹かれあい夫婦になったのだが、トローベルの歌うイゾルデのようにコジマにはいつも哀しみが横溢し、一方、メルヒオールの歌うトリスタンのようにリヒャルトにはいつも不思議な楽観があった。

「メルヒオール&トローベル ワーグナー・アリア集」から
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第1幕への前奏曲
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第1幕第3場「タントリスの歌」
ヘレン・トローベル(ソプラノ)
アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1945録音)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第2幕第2場「降り来よ、愛の夜よ」
ヘレン・トローベル(ソプラノ)
フリッツ・ブッシュ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団(1947録音)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第2幕第3場「王よ、それはことばで説明しようもないこと」
ラウリッツ・メルヒオール(テノール)
エーリヒ・ラインスドルフ指揮コロンビア・オペラ管弦楽団(1942録音)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第3幕への前奏曲
アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1945録音)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第3幕第1場「昔ながらの調べ」
ラウリッツ・メルヒオール(テノール)
エーリヒ・ラインスドルフ指揮コロンビア・オペラ管弦楽団(1942-43録音)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第3幕第2場「おお、この太陽の」
ラウリッツ・メルヒオール(テノール)
ロベルト・キンスキー指揮コロン歌劇場管弦楽団(1943録音)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第3幕第4場「イゾルデの愛の死」
ヘレン・トローベル(ソプラノ)
アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1945録音)

第2幕の諸曲が絶品。
戦時中の録音のためか、あるいは僕の気のせいもあるのか、(実際には掛け合いでない)トリスタンとイゾルデの歌が鬼気迫り、一層その悲哀を助長する。
「パルジファル」を受け容れ難かったルーにしても「トリスタン」の世界は自身の体験とだぶって共感できたのではなかろうか。

 

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