インバル指揮フランクフルト放送響 マーラー 交響曲第10番(デリック・クック1976年初版第2稿)(1992.1録音)

「シュトラウスと私は山の反対側からトンネルを掘っている。いつか出会うことになるだろう」とマーラーは言った。二人とも音楽を葛藤の種、両極端の闘いの場と考えていた。二人とも100人からなるオーケストラがつくる大音響に大いなる喜びを感じたが、また断片化と崩壊のエネルギーをも放出した。ベートーヴェンの交響曲からヴァーグナーの楽劇までの19世紀ロマン主義の英雄的な物語は、きまって超越の輝き、精神的な克服の輝きとともに締めくくられた。マーラーとシュトラウスの音楽はもっとうねうねと曲がった形の物語を語り、ほんとうに幸福な結末を迎えることについてはしばしば懐疑的だ。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽1」(みすず書房)P5

ロスの分析は適確だ。しかし、「音楽に本来意味などない」という視点から言うなら、幸せか不幸せかは聴き手の判断であって、作曲家側の問題ではない。いずれの作品も、どんな作品も聴き手は最後に満足するのだから、それは幸福な結末を迎えているといって良いのではないか、僕はそう思う。

マーラーの未完の交響曲は幸せの交響曲。
今やこの作品にもたくさんの補筆完成版があるけれど、少なくともマーラーが完成させた第1楽章アダージョの天国的な美しさは幸福の希求以外何ものでもないように僕には思える。

もう10年前になるのか、エリアフ・インバルの実演を聴いた。
あれは確かに素晴らしい演奏だったのだけれど、今となっては記憶がほとんど蘇ってこない。おそらくあまりの人間臭さに半ば失望した可能性もある。もっと純化された、崇高な表現を当時の僕は求めていたようだ。

しかし、果たしてどんな演奏がベストなのか、僕には答は出せない。
大切なことは音楽そのものに浸ることだ。集中することだ。

・マーラー:交響曲第10番(デリック・クック1976初版第2稿)
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(1992.1.15-17録音)

30余年前、壮年のインバルの解釈は、現在とは違ってもっと冷静なものだった。年齢を重ねるにつれ、情念が支配し、より人間的な解釈に移行していくように僕には思われるが、何とも中庸というのか、余分な思念が入り込まないこの時代の演奏の方が、よりマーラーの、内なる幸福な心境を伝えるようで良いように思う。

弾ける第2楽章スケルツォは、現世で遊ぶマーラーの思念の顕現、一方、短い第3楽章プルガトリオ(煉獄)は、肉体を失ったマーラーの、文字通り汚れた想念を浄化せんとする、その状況を見事に歌っているように思う。

楽章を追うごとに尻上がりにエネルギーを増すインバルの演奏は、第4楽章スケルツォ(アレグロ・ペザンテ)はもちろんのこと終楽章にこそクライマックスが置かれる。

《第4》の校正譜は拝受いたしました。《第8》の総譜はまだです。4月には私はパリで指揮をしまして、5月にはウィーンにおります。そのときに万事について詳しく話し合いましょう。
(日付なし。到着消印:ウィーン、1911年2月21日、ウニヴェルザール・エディション、エーミール・ヘルツカ宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P425

死の数ヶ月前も彼は自身の作品の行く末をずっと気にかけていた。
上記の手紙はマーラーが書いた最後の手紙の一通だ。書簡が出版社に届いた日に、彼は最期の指揮台に立った。絶望的な容態で彼はニューヨークからパリへ、パリからウィーンへ運ばれて、そこで1911年5月18日に亡くなった。
~同上書P426

ところで、かつてのDENON盤にはIndexが付いていた(今も廃れていないのか?)のを覚えているだろうか?
それによって楽曲の構成がいわば見える化されており、僕のような素人にはとても便利な機能だった。

過去記事(2014年7月7日)


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