「回想」、あるいは「思い出」という名の通り、アルバムに通底する音に僕は懐かしさを覚える。
ヤナーチェクのピアノ作品は、どれもが静謐で、どれもがまた透明で、聴く者の記憶を大いなる過去に誘ってくれる。
音楽的には多大な才能に恵まれていたとはいえ、私生活においては極めてだらしなく、俗物の限りであったことが想像できるヤナーチェクも、芸術家のご多分に漏れず相当な浮気性だったらしい。
ズデンカ夫人が書き記すヤナーチェクの最後の日々がリアリティに富み、興味深い。
1928年7月29日、ズデンカは愛人(?)カミラと過ごすためにフクワルディに発つ夫を見送ったという。そして、実にその2週間後にヤナーチェクは風邪をこじらせ、カミラに看取られ74年の生涯を閉じたというのだから何とも凄まじい生涯だ。
残された音楽には不思議な情感が、それはエロスと呼ぶに相応しい情感が漂う。
男が浮気性のとき、すべてが男の性の問題なのかと言えばそうとも限らないだろう。男のエロスに応えられない女の問題もその意味ではなくもない。何にせよすべての現象は因果の法則、フィフティ・フィフティだ。
紅色のジャケットが、ヤナーチェクの内なる心情を示しているようで興味深い。
優れた作品は、作曲者の意志を超え、時間と空間を超え、世界を席巻する。
普遍的な音楽には、そこにはもはや性格や性質を凌駕する何かがあるのだろうと思う。
シフのピアノはいかにも優等生的だけれど、ヤナーチェクの自在な音楽の解釈には妙にぴったりだ。その集中力、意識が内へと収斂するその過程にこそシフの類稀な技量が隠されており、またヤナーチェクへの愛情が宿っているのだと思う。