一滴の重み

pergolesi_stabat_mater_kingsconsort.jpg一個人のできること、あるいは能力というものはたかがしれているかもしれない。しかし、一粒の水滴が長年続けば穴を開けてしまうように、途轍もない大きな力を生み出すことは大いにありうることである。まがりなりにも人に影響を与えるという職責を肝に銘じて、背水の陣-あるいは「覚悟」という言葉にしてもいいが-をしいて事に臨む勇気を持とう。

いつも人から「もっと自信を持て!」といわれる。確かにまだまだ自分自身を信じ切れていないのかもしれない。それに「過去の実績にすがるな!」ともいわれる。それはそう思う。過去の栄光に頼っている人間はみっともない。別にすがっている意識はないが、あくまで自分独自のものを世に問うていくだけの余裕というか自信はやっぱり必要だ。

キリスト教に関しては決して詳しくない。聖母マリアだとかイエス・キリストだとかいわれても、具体的に愛着は湧かないし、どうでもいいといえばどうでもいいことだと思う。
しかしながら、キリスト関連の映画(例えば、「パッション」とか「最後の誘惑」とか)を観るにつけ、少なくともイエスの母であるマリアの偉大さ、あるいは寛大さに畏れ多いものを感じるのは事実だ。まさに「覚悟」。

ペルゴレージ:スターバト・マーテル(悲しみの聖母)
ジリアン・フィッシャー(ソプラノ)
マイケル・チャンス(カウンター・テノール)
ロバート・キング指揮キングス・コンソート

1736年、わずか26歳で夭折したジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージの白鳥の歌。礫刑に遭ったキリストの十字架のもとに佇む悲しみの聖母マリアへの祈りを捧げた詩に音楽がつけられた、涙なくしては聴けない傑作。
それに、キングス・コンソートによる清澄な調べは異常に感動的である。これほどまでに「人の心」を表現した音楽は稀ではなかろうか・・・。

悲しみの母は立っていた
十字架の傍らに、涙にくれ
御子が架けられているその間
呻き、悲しみ
歎くその魂を
剣が貫いた
ああ、なんと悲しく、打ちのめされたことか
あれほどまでに祝福された
神のひとり子の母が

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