
ショパンの多くの作品同様、マズルカはノスタルジーの感情に溢れている。そのノスタルジアの対象は何なのだろうか? それは、過去であることは言うまでもない。そして、未来、天国、天国と地上の絆でもある。親密で個人的な尺度において、それらは愛や故人、そして死そのものを呼び起こす儀式の舞踏なのである。
(ヴァレリー・アファナシエフ/須山多恵訳「マズルカ」)
~COCQ-84063ライナーノーツ
ヴァレリー・アファナシエフの弾くショパンのマズルカ。
あまりに思い入れたっぷりで(否、沈思黙考か?)、情感を込めて(否、明晰な頭脳解析の賜物か?)奏される音楽に、僕はいつも飲み込まれる。
実演では、恣意性ばかりが耳につくアファナシエフだけれど、こと録音においては、(少なくとも僕が耳にした)どれもが素晴らしい。
テンポ遅く、ルバートが多用される、郷愁に溢れ、哀感満ちるイ短調作品17-4に心が掻き毟られる。いまだ10代のショパンの祖国ポーランドへの来るべき喪失の心情を代弁するかのような音楽に、それだけで身も心も震えるのである。続く、変ロ短調作品24-4も、弾けるように音楽は歌われるものの、内なる悲しみの思いは舞踏という音楽の形をつい超えてしまう。
群馬県みどり市は、笠懸野文化ホール(現グンエイホールPAL)での録音。
選ばれた作品は、2曲を除いてすべてが短調作品。
ショパンの内なる冬の心理が、見事に音楽に投影される様。そして、それを外に奏でることによって解決せんと試みるアファナシエフの魔法。解釈としては邪道かもしれないが、アファナシエフのピアノはショパンの魂と一つになっているように思われる。
中でも、丁寧に奏される嬰ハ短調作品50-3のあまりの美しさ。そして、イ短調作品67-4にみる苦悩、さらにイ短調作品68-2に感じられるショパン晩年の自然体、また透明感(ショパンについてはもはや卒業かと思う節もあるのだが、この音盤は時折聴きたくなる不思議な力が漲る)。
堪らない。