グールド J.S.バッハ フーガの技法BWV1080からコントラプンクトゥスI-IV(1980.11録音)

人は自分の死期を知らないものだが、後から振り返ると、その予兆のような事態があったことが、他人にはわかるようだ(実際には本人にも意識があるのかもしれない)。そういえばあのときこうだったな、というわけだ。

1999年7月29日に急逝した辻邦生もそんな様子だったと、奥様の佐保子さんの回想にある。
最後の連載は日経新聞の日曜版に掲載されたが、それまではぎりぎりにならないと原稿を書けなかった人が、なぜかいつも約1ヶ月、数回分の余裕をもって執筆を続けていたという(虫の報せか)。1999年はしばらく東京に滞在していた辻は、46回まで書いたところで、7月8日に軽井沢の山荘に辻は戻ったのだが、いつもは山のように本を運ぶのに、この年は「薔薇の沈黙」(リルケ論)の初校ゲラと「浮舟」の連載のための資料箱2つ、そして好きなCDを数十枚持って行くだけだったらしい(これもいつもと違う)。佐保子さんは書く。

曇りがちの天候が続き、風邪ぎみだったこともあり、思うようには筆が動かない様子だった。当分はまだ書き溜めた原稿があるからと慰め、なるべくそっとしておこうと心がけていた。午前中はグレングールドのバッハ、午後4時ころからマーラーの交響曲を聞くという日課に変りはなかったが、いつもと違う曲、例えばメンデルスゾーンの「スコットランド」などを聞く時間が長かったように思う。その結果、7月29日の午前には、最終回の2枚目半のところで原稿が中断されたままに終った。未使用の原稿も、書きかけの原稿用紙の左端に置かれていた。
「辻邦生全集16」(新潮社)P387

まるで原稿を認めながら逝ったリヒャルト・ワーグナーのような印象だが、リヒャルトにコジマがあったように辻には佐保子さんがあったおかげで、最期の様子が詳細に綴られていて、何だかとても切なくなる。

興味深いのは、最後の軽井沢で専らグールドのバッハ、そしてマーラーの交響曲、時に「須スコットランド」交響曲を聴いていたというエピソードにとても感心した。

午前中にグールドのバッハというのは粋だ。
まさしく頭が冴えた午前に脳髄を刺激してくれる音楽が、辻邦生の筆に一層の活力をもたらしたのだろうと想像する。「フーガの技法」を聴いた。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:フーガの技法BWV1080
・コントラプンクトゥスI-IV
グレン・グールド(ピアノ)(1980.11.20-25録音)

グールドはオルガンとピアノでそれぞれ録音を残しているが、ここでの映像は晩年にブルーノ・モンサンジョンを監督として収録されたものだ。グールド曰く「史上最も美しい音楽」だそうだが、いつものように鼻歌交じりに、祈りを込めてピアノを弾く彼の姿が何より神々しい。もちろんその音楽は静謐で敬虔で、これ以上のものはないと断言できる代物だ。

僕は繰り返し聴いた。
来る日も来る日も観た。
その意義が、その意味が、還暦を迎えようやくつかむことができるようになったように思う。


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