40年以上前、日夜FM放送のエアチェックに励んでいた頃、僕は毎週日曜日に放送される吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」を文字通り楽しみにしていた。
<私の視聴室>ホロヴィッツat the Metを聴く(1982年11月28日放送)
この回のことは鮮明に憶えている。
当時、僕は浪人中で、丸太町にあった駿台予備学校京都校に通っていた。
この時期になると、予備校での模擬試験もなかなかの出来に達していて、おそらく第一志望の大学は突破できるだろうと想定されていたが、こと受験に関する限り僕はとてもストイックだった。だから好きな音楽を聴くこともできるだけ減らして、勉強に集中していたからこそ、週に一度の、たった一度の息抜きが吉田さんの「名曲のたのしみ」だった。
僕はショパンのバラード第4番に一聴感激した。
当時の愛聴盤はルービンシュタインの演奏だったと思うが、音楽の作りからスピード感、内から湧き上がる雰囲気、すべてがそれとは違っていて、とても新鮮だった。
もちろんワルツ第9番「別れ」も、どう表現すれば良いのか、何とも言えない透明感と内なる暗さを哀惜込めて表現するホロヴィッツの技術に感動したものだ。
そして、十八番であるドメニコ・スカルラッティの6曲のソナタ!
もはやホロヴィッツでなければスカルラッティに満足できないというくらい僕にとってホロヴィッツのスカルラッティは重要な位置を占める(そういう人は多いかもしれない)。
吉田秀和さんの訃報を聞いたのが、ちょうど12年前。干支が一周したのだと思うと、時間の流れの速さにあらためて驚いてしまう。
何百年も人類の財産として残るスカルラッティのソナタにある哀惜、愉悦などなど、そういう人間感情の機微を見事に伝えるホロヴィッツの天才と、そういう演奏の素晴らしさをわかりやすく伝えていただいた吉田秀和さんの音楽愛の深さに感謝の念を覚える。