シューリヒト指揮南西ドイツ放送響のメンデルスゾーン「夏の夜の夢」ほかを聴いて思ふ

schuricht_scribendum誰しも魔が差すことがある。大抵が無意識。
かつては、そういうことの理由を神話に求めた。問題は妖精の仕業なのだという。
確かに人は、なぜそんなことをするの?というときがある。
人間の住む世界というのは不思議で面白い。

「夏の夜の夢」第1幕第2場での、職工ニック・ボトムの言葉。

狂瀾怒濤の岩石を
鞭声粛粛玩弄し
阿鼻叫喚の閂を
木端微塵に願望す。
全能全知の日論は
眼光炯炯君臨し、
蒙昧無知な運命は
活殺自在に終臨す。
ウィリアム・シェイクスピア作/小田島雄志訳「夏の夜の夢」(白水ブックス)P26

太陽こそがすべて。
シェイクスピアにインスパイアされたメンデルスゾーンの音楽は、序曲からどの瞬間も明朗で快活。それこそまさにお日様の如し。
カール・シューリヒトは、メンデルスゾーンにおいては(あくまで自然体ながら)幾分気持ちを乗せる。そのせいか音楽は、切ったらば血が出るだろうほどの有機性を帯びる。

また、第5幕第1場でのナンセンスな劇中劇「ピラマスとシスビー」の中で、ピラマスは言う。

なつかしい月、ありがとう、昼と見まごうその光、
ありがとう、月、そのようによくぞ照らしてくださった。
キラキラきらめく金色の貴重なおまえの光にて、
まことにまことの真心をもつシスビーを見いだそう。
~同上書P137

火で燃して、水に流す。お月様には抗えまい。

メンデルスゾーン:
・劇付随音楽「夏の夜の夢」抜粋
・序曲「フィンガルの洞窟」
・序曲「美しきメルジーネの物語」
・序曲「ルイ・ブラス」
カール・シューリヒト指揮南西ドイツ放送交響楽団(1960&1962.9録音)

この「夏の夜の夢」抜粋は、何だかとても女性的。音楽は終始控えめで、円やか。
その上で、流れが真に良く、まさに清流のよう。無理がないのである。
そして、「フィンガルの洞窟」も「メルジーネ」も、あるいは「ルイ・ブラス」も実に心地良く、シューリヒトの音楽的センスの素晴らしさを満喫できる。

猛暑の中、短い夕立があった。
お陰で外気は冷たくなった。自然の中庸を垣間見た。
そう、シューリヒトの音楽にあるのは「中庸」。

 

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2 COMMENTS

雅之

>誰しも魔が差すことがある。大抵が無意識。

>確かに人は、なぜそんなことをするの?というときがある。
> 人間の住む世界というのは不思議で面白い。

その人間が「集団」になっても面白いですよね。
国民投票の結果とか。

オーケストラという存在は「縮図」かもしれませんね。
どの指導者(指揮者)に付いて行きたいとか行きたくないとか。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>国民投票の結果とか。
>オーケストラという存在は「縮図」かもしれませんね。

そのとおりですね。
「木を見て森を見ず」でなく、「木も森も見える」全体観を忘れずにいたいものです。

返信する

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