地球は碧かった・・・

音楽講座の新機軸として東洋絵画などとコラボレートしてみるのもいいかと、Kさんを交え午前中ミーティングした。なるほど中国絵画の専門家らしく話も面白く、先日の*AK* the piano duoの「ハルサイ」のときはこういう絵が脳裏に去来したとか、ベートーヴェンの第9を聴くとたくさんの鳥が見えるとか、僕などはおよそ及びもつかない観点で音楽を論じていただけるので人の感性というのは千差万別で、まさに人ってユニーク(Only One)なんだな、と実感した次第である。

次回の「早わかり古典音楽講座」はベートーヴェンの第9をとりあげるのだが、この楽曲を聴くと何を想い浮かべるかと問われると、僕は即座に「宇宙から見た碧い地球」と答えるだろう。究極の人類賛歌、自然賛歌、地球賛歌の音楽なのである。何だかガガーリンみたいだ。
ちなみに、音源は以前ブログに書いたフルトヴェングラーの指揮するいくつかのライブ盤が絶対的座右の盤なのだが、普段はあえてフルトヴェングラーを聴かないようにしている。初めて聴いたときの感動を常にHotな状態にしておくために(バーンスタイン盤ラトル盤朝比奈盤などをその時の気分によって聴き分けている)。

それともう一つ、ベートーヴェンが意識したかどうかは別にして、地球生成から人類賞賛に至るこの交響曲は、自らを葬る哀悼の音楽である、と捉えることもできるのではないか。多分にアイロニカルだが。
一般的には、葬送音楽というとショパンのものが最も有名だ。ベートーヴェンのエロイカ交響曲の第2楽章も同じく。ワーグナーの「ジークフリートの葬送行進曲」もそうだ。

今日のような晩秋の日和日には何とも乾いた音で情感たっぷりな哀悼音楽もいいものかと第2次世界大戦前にドイツで書かれたパウル・ヒンデミットの音楽を聴く。

ヒンデミット:葬送音楽(1936年)
キム・カシュカシアン(ヴィオラ)
デニス・ラッセル=デイヴィス指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団

ヒンデミットは純粋なドイツ人である。しかし、ヒトラー総統に毛嫌いされ「堕落した音楽家」という烙印を押されてしまった曰くつきの作曲家だ。フルトヴェングラーはヒンデミットを徹底的に擁護し、ついに1935年、「ヒンデミットの場合(通称、ヒンデミット事件)」という論文を発表するに至る。それを受けてかどうかは調査不足で知らないのだが、とても20世紀に書かれたとは思えない哀感漂う感動的な音楽である。
ちなみに、明日はヒンデミットの112回目の誕生日だ。

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