昨日の守屋防衛省前事務次官の証人喚問における証言にせよ、吉兆の商品表示偽装問題にせよ世の中嘘が多すぎる。トップは責任逃れから嘘をつく。そして、下のものは「問題」と自覚しながら反論もできず、上の意向に沿い、最終的に傷口を広げる結果になる。いずれ問題が表面化することはわかりきった話なのだが、人間というもの目先の利益や身の保全に走ってしまうのである。浅ましさ、愚かさの限りだ。
人は生まれながらに身体を授かっている。その身体を大事に生かしていくために食べなければいけないし、眠らないといけない。人間の持つ「欲」こそキリスト教でいう「原罪」というものだろう。
20世紀のサルヴァドール・ダリ、16世紀のマティアス・グルーネヴァルトらが描いた「聖アントニウスの誘惑」と題する絵画がある。アンドレイ・タルコフスキー監督が遺作「サクリファイス」の次回作として構想していた映画も実は「聖アントニウスの誘惑」であった。
聖アントニウスは自らの持つ全てのものを放棄し貧しい人々に与える。そして、自分自身の欲と闘う苦行に出るのだ。マティアス・グルーネヴァルトらが描いたこの絵は、まさに聖アントニウスが悪魔に誘惑されるところを描いた傑作なのである。
人間はそう簡単に聖人君子にはなれないだろう。とはいえ、昨今の様々な事件をみるにつけて、上に立つ者はもう少し「智慧」をもった人たちになってもらいたいものだと思ってしまうのである。
昨日に引き続きヒンデミットを聴く。交響曲「画家マチス」。アンリ・マティスのことではない。そう、上述のマティアス・グルーネヴァルトを題材にした音楽。もとはオペラ「画家マチス」として創作されたが、ナチスの妨害により上演不可となった問題作。純粋器楽曲なら演奏可能ということで作曲者自ら交響曲としてアレンジし、 1934年、フルトヴェングラーによって初演された傑作である。
ヒンデミット:交響曲「画家マチス」(1934年)
レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
第1楽章 天使の合奏
第2楽章 埋葬
第3楽章 聖アントニウスの誘惑
主よどこにおられたのですか?
なぜ最初のときはここに来てくださらなかったのでしょうか?
それになぜわたしの傷も治してくだされなかったのでしょうか?
シェーンベルクらの12音技法に対して否定的な見解を持っていたヒンデミットの楽曲はとても聴きやすい。こういう楽曲でも「退廃音楽」になるのだからヒトラーらナチスの幹部連中の耳はやっぱりおかしい。ヒンデミットの奥さんがユダヤ人だという理由からの迫害に過ぎないらしいが、愚の骨頂である。
いつの時代もトップの力量や大きさが問われる。今の世の中上に立つ者をどうにかせねば・・・。
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