
僕は普段テレビを見ない。
しかし、実家では、テレビは一日中点いている。老父母の情報源ゆえだ。
夕食時、偶々点いていたのは、テレビ東京(実家辺りはびわ湖放送)の「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」だった。両親とも好きで毎回観ているらしい。
何と左卜全の「老人と子供のポルカ」(1970年)がBGMで流れていた。
(そのことは巷では有名らしい)
懐かしかった。この歌が流行ったのは僕が小学1年生か2年生の頃。子どもながらに意味もわからず聴いて、歌っていたことを思い出す。
実際、半世紀ぶりに聴いて思ったこと。
単なるコミック・ソングではなく、世相を反映する、実に真摯な内容だったことに僕は驚いた。(内ゲバ、交通事故、そして国鉄のストライキなど人間の我欲が生み出した
・左卜全とひまわりキティーズ:老人と子供のポルカ(1970)
左卜全は翌年亡くなるが、この最後の録音については本人も周囲もこれほど一世を風靡するとは思わなかったらしい。何が面白いかというと老人(左卜全)の突拍子ない、子どものコーラスにまったく合わせようとしない朴訥な歌が、滑稽でありながら妙に説得力があるところ(ベートーヴェンの第5交響曲冒頭に8分休符が付されているが、あんな印象)。時代を超えた名曲だと思う。
そして、その少しあと、幼い頃、テレビで観て一緒になって歌っていた(ことを懐かしく思い出す)平田隆夫とセルスターズの「ハチのムサシは死んだのさ」。こちらも名曲だが、学生運動を示唆する内容であったことは大人になってから知った(当時、子どもたちに人気だったらしい)。
・平田隆夫とセルスターズ:ハチのムサシは死んだのさ(1972)
昭和40年代というのは、実に面白い、そして熱い時代だったことが、流行歌を聴いてわかる。子どもながらその時代の空気を少しでも吸うことができたことに感謝だ。
高田馬場駅で降りると、駅前に黒い学生服の行列が見えた。大学へのスクールバスに乗る学生たちの列だった。
さすがに新入生らしい青年が目立っている。彼らは鋭く先の尖った角帽を律儀に頭にのせ、新しいカバンをさげている者も多かった。中には明るい服を着た女子学生らしい姿もあった。
信介はためらうことなくその列を無視し、都電の線路にそって早稲田の方角へ歩きだした。バスに乗らずに歩いている学生もかなりいた。両側に並ぶ商店の前の歩道を、黒っぽい学生たちの流れが大学のほうへ動いて行く。信介もその流れにまじって、ボストン・バッグを抱えたまま歩いた。
戸塚のロータリーのあたりを過ぎると、町並みはいかにも学生街らしい感じになり、古本屋や、大学の制服や角帽を飾った店が目立ってくる。
〈角帽はいくらするのだろう?〉
信介は何となく新入生たちの晴れがましそうな角帽姿が、子供っぽいものに思えて、心の中で彼らを嘲笑していた。だが、それでいながら、やはり自分が角帽をかぶっていないことが何となく気がひけた。
~五木寛之「青春の門 自立篇 上」(講談社文庫)P11-12
一世代違えど、昭和の香り漂う描写に、人間がまだまだパッショネートに生きていたであろうあの時代を懐かしく思う。流行歌は、音楽は過去も未来もいっしょくたにして人々の記憶をつなぐ。共感、共鳴、そして共創。