モンタギュー エイラー アレン マシス モンテヴェルディ合唱団 ガーディナー指揮リヨン歌劇場管 グルック 歌劇「トーリードのイフィジェニー」(1985.1&2録音) 

神話といえど、それは人間のエゴイズムを示唆する(警告する)ものが大抵だ。
何より領地拡大のための戦争、あるいは宗教戦争、世界の歴史は(自己の正当さを主張する)争いの歴史だと言っても過言ではない。

(18世紀)イピゲネイア主題の流行には、前記のようにいくつか考えられるが、筆者はこれらに加えて18世紀のヨーロッパで頻発した戦争—スペイン継承戦争(1701-14)、ポーランド継承戦争(1733-35)、オーストリア継承戦争(1740-48)、七年戦争(1756-63)、アメリカ独立戦争(1775-83)、そしてフランス革命戦争(1792-1802)—が、同じく民族間の対立と戦争を描いたイピゲネイアの悲劇を、当時の人々にとって身近に感じられるものとしたのではないかと思う。さらに、悲劇で描かれる主従関係—専制的な父親アガメムノンと、彼に従わざるを得ない母親クリュタイムネストラと娘イピゲネイア、あるいは専制的な王トアスと奴隷たち―に、王や貴族の横暴に耐えていた人々が、自分たちの現状を重ね合わせたのではないかとも思う。
大崎さやの・森佳子編著/辻昌宏・大河内文恵・森本頼子・吉江秀和著「バロック・オペラとギリシア古典」(論創社)P5

歴史は繰り返す。
世界の現状を打開する解決策のヒントは歴史にある。ただし、真に抜本的な解決策を望むなら、各々が最終的に本性に目覚めるしか術はない。人類の覚醒こそが大いなる鍵だ。

グルック・ピッチンニ論争全体を概観すると、ブフォン論争と同時に、演劇的なフランス派(グルック)と音楽重視のイタリア派(ピッチンニ)の対立が現れている。しかしだからと言って、決してイタリア派が演劇に無関心だったわけではなく、彼らもまたそうした点を改良しようとしていた。
森佳子「グルック《オリドのイフィジェニー》と《トリドのイフィジェニー》 新たなトラジェディ・リリックの誕生」
~同上書P153

世界の面白さは、陰陽二元で成り立っているがゆえだ。対立があるからこそ止揚が生まれ、進歩、発展があるのである(ただし、対立そのものに埋もれてしまっては元も子もないが)。ピッチンニのことは正直よく知らない。しかし一方のグルックは決して自己主張だけで終わらせようとはしなかった。

視覚的な要素、身体表現においても、《トリドのイフィジェニー》の方が「革新的」である。前述したように、たとえばグリムは、身体表現がさまざまな状況的描写を行いうることを示唆した。そして、筋に合わせてダンスを挿入するためには、「模倣的ダンスかパントマイム」が必要であると説いている。特に《トリドのイフィジェニー》においては、その考えが引き継がれ、単にシンメトリックで美しいダンスではなく、エウメニデスの場面のように、筋に深く組み入れられたパントマイムが挿入されている。そしてこの場合、いわゆる「模倣」は、舞台上の動きがオーケストラの力で支えられることで現れる。言い換えれば、「演劇的関心を逸らさない」ように、身体表現に合った音楽を付けるためには、グルックによるオーケストラ表現の改革は必要だったのではないか。
~同上書P171

実に的を射た論だ。演劇と音楽がそれこそ相互に影響し合い、一つになる形こそ、後世のワーグナーやヴェルディに影響を与えたグルックの挑戦だったといえまいか。ちなみにグルックは自らを「画家であり詩人」だと称したそうだ。

・グルック:歌劇「トーリードのイフィジェニー」
ダイアナ・モンタギュー(イピゲネイア、メゾソプラノ)
トーマス・アレン(オレステス、バリトン)
ジョン・エイラー(ピュラデス、テノール)
ルネ・マシス(トアス、バリトン)
ナンシー・アルジェンタ(第1の巫女、ソプラノ)
ソフィー・ブーラン(第2の巫女、メゾソプラノ)
コレット・アリオット=ルガズ(ディアーナ、ソプラノ)
ダニエーレ・ボースト(ギリシャ人、ソプラノ)
ルネ・シルラー(大臣、バス・バリトン)、ほか
モンテヴェルディ合唱団
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮リヨン歌劇場管弦楽団(1985.1&2録音)

録音から40年。
軽快な音調の中に感じられる深みは、ガーディナーの指揮の常。
第1幕「序奏と合唱」から美しくも激しい音楽が奏でられ、一気に引き込まれる。
(序奏の途中に合唱が入ることは、当時としては画期的な手法だったらしい。グルックの天才!)

また、オペラの見せ場としての第1幕第5場バレエのシーン。

そして、森さんの指摘による第1幕と第2幕の見せ場は、ガーディナーにとっても見せ場のようだ。

グルックは「夢」という状況を用いて、今まで誰もが考えつかなかったような、音楽的な効果のある2つの場面(見せ場)を挿入している。まず冒頭の「嵐」の場面で、これは「夢のレシタティフ」へと続く。もう1つは、第2幕のオレストの「眠りの場面」である。おそれく初演時において、これらは非常に衝撃的だったと思われ、『メルキュール・ド・フランス』に「これほど強い印象のオペラは今までなかった」と書かれている。
~同上書P163

推進力抜群の演奏に心が動く。

ドーソン ル・コズ デュポスク マラン=ドゥゴール ド・メイ ヴィアラ フレクター ガーディナー指揮リヨン歌劇場管 グルック 歌劇「メッカの巡礼」(1990.5録音) ガーディナーの「オルフェオとエウリディーチェ」(ウィーン版)を聴いて思ふ ガーディナーの「オルフェオとエウリディーチェ」(ウィーン版)を聴いて思ふ 4分間のピアニスト 4分間のピアニスト

2 COMMENTS

タカオカタクヤ

この盤も収録してからの歳月の経過を考えますと、もはや〝歴史的録音”のカテゴリーに入ってしまっているのかも、知れませんね。
この盤、オランダ・Philips直輸入盤で求め、じっくり拝聴させて貰いました。今も、手元にございます。
ガーディナーのバロック・古典作品への解釈は、現代人の先鋭な感覚をもってしていながら、N・H氏(笑)ほどトゲトゲしくなく、聴き手の感覚的な面に於けるある種の心地良さも、蔑ろにしていないのが素晴らしいかと存じます。

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岡本 浩和

>タカオカタクヤ様
おっしゃる通りもはや「歴史的録音」ですね。
アナログ時代から聴かれているとは素敵です。
アーノンクール(笑)ほど尖鋭的でないところがまたガーディナーのツボだと思います。

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