
1980年代は19世紀から20世紀にかけての巨匠たちが、最後の輝きを放っていた時期。
その頃、僕は音楽に目覚めた。
しかし、少年に自由に動かせるお金は乏しく、こぞって来日した老巨匠の音楽を生で聴く機会を随分逸した。今振り返って後悔するのはそのことだ。
ロベルト・シューマンが「新音楽時報」に発表した、今や有名な「新しき道」と題する論文。
(シューマンの衝撃がまざまざと見える文章なのでここに全文を引用する)
「新しき道」
10年ぶりで、このおもいで深い領域に、もう一度足を入れることになった。10年といえば、私がこの雑誌の編集に捧げていた歳月とほとんど同じだ。この10年の間というもの、私は緊張しきった創作活動に日を送ってきたが、思わず興奮して筆をとろうとしたことも、一再ならずあったのだ。重要な新人も大勢現われた。新しい音楽の力のきざしもみられるようになった。その作品はまだ世間的に広く知られていないにしても、最近の、高い精進をつづけている多くの芸術家をみれば、その間の事情が証明される。私は考えた、こういう選ばれた人たちの道を熱心に追求してゆくと、どうしても、こんな前駆者の後から、今に時代の最高の表現を理想的に述べる使命をもった人、しかも段々と脱皮していって大家になってゆく人でなく、ちょうどクロニオンの頭から飛び出したときから完全に武装していたミネルヴァのような人が、忽然として、出現するだろう。また出現しなくてはならないはずだと。すると、果して、彼はきた。嬰児の時から、優雅の女神と英雄に見守られてきた若者が。その名は、ヨハンネス・ブラームスといって、ハンブルクの生れで、そこで人知れず静かに創作していたが、幸いにも教師にその人を得、熱心にその蘊蓄を傾けてもらったおかげで、芸術の最も困難な作法を修めたすえ、さる高く尊敬されている有名な大家の紹介によって、先日私のところにきたのである。彼は誠に立派な風貌を持っていて、みるからに、これこそ召された人だと肯かせる人だった。ピアノに坐ると、さっそくふしぎな国の扉を開き始めたが、私たちはいでてますますふしぎな魔力の冴えに、すっかりひきずりこまれてしまった。彼の演奏ぶりは全く天才的で、悲しみと喜びの声を縦横に交錯させて、ピアノをオーケストラのようにひきこなした。曲はソナタ(むしろ変装した交響曲のような)や—その言葉を知らなくてもよくわかるような、しかも深い歌の旋律がすみずみまでしみこんでいる歌曲や—実に気持のよい形式をもち、デモーニッシュな性質もところどころ見られる23のピアノ曲や—それからヴァイオリンとピアノのソナタ—弦楽四重奏などであったが—こうした曲が、どれもこれも、それぞれ趣きを異にしているので、別の源泉から流れ出してくるのではないかと思われるくらいだった。またとうとうたる流れが、流れ流れて滝となって落ちるように、どの曲も散々流れた末に、彼の中に呑み尽くされるのではないかというような気もした。そうして、弓形に流れ落ちる滝の上には、のびやかな虹がかかり、岸辺には蝶々が舞い、鶯の声さえきこえた。
今後、彼の魔法がますます深く徹底して、合唱やオーケストラの中にある量の力を駆使するようになった暁には、精神の世界の神秘の、なお一層ふしぎな光景をみせてもらえるようになるだろう。願わくば、最高の守護神が彼をそこまで強化するように。彼の中にはもう一人の、謙虚という守護神がいるが、これをみても、そうした将来に備えている天の配慮のほどが偲ばれる。彼の同時代人として、私たちは世界への門出に当って彼に敬礼する。世界にでるからには、手傷を負うことも、もとより覚悟しなければならないが、月桂冠や誉れの椰子の樹もまちうけていることだろう。私たちは彼を逞しい闘争者として歓迎する。
どんな時代にも、親しい精神の間には秘かな結盟がある。到るところ、喜びと祝福を拡げつつ、芸術の真理の光をいよいよ明らかならしめるために、この結盟の盟友は、ますます提携を堅くせよ。
ロベルト・シューマン
~シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P241-243
この手放しの讃辞はまもなく現実になる。
ショパンを発見したシューマンの慧眼に恐れ入る。
ロベルト・シューマンが驚嘆したヨハネス・ブラームスの天才。
作曲能力はもちろんのこと、そのピアノの腕前に、最初は一人で聴いていた巨匠も、妻クララを呼びに行き、再度最初から弾くよう依頼し、共に聴くことになったというエピソードがものを言う。
1853年10月1日、20歳のブラームスがシューマン夫妻の前で披露したのは作曲間もないピアノ・ソナタハ長調だった。
ブラームス:
・ピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品1(1852-53)
・ピアノ・ソナタ第2番嬰ヘ短調作品2(1852)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1987.2Live)
マントヴァはビビエーナ劇場でのライヴ録音。晩年のリヒテルの神々しさ。
若きブラームスの傑作を実に瑞々しく、また力強く表現する様子に感動する(しかし、おそらくリヒテルはその実演に接しない限りその本当の真髄は伝わり得ないものだと想像する)。
それでも内燃するエネルギー、いかにもブラームスらしい鬱積したパッションではなく、むしろ明朗で外に発散されるパワーが感じられ、リヒテルがブラームスの音楽に十分共感している様子が目に見えるようだ。
中でもブラームスがシューマン夫妻の前で披露したソナタハ長調が素晴らしい。
しばらく耳にしていなかったブラームスのソナタを、僕は感激のあまり繰り返し聴いた。
まさしくシンフォニーのような、重厚長大な形式の中で一部の隙もない、何の無駄もない音楽に浸る瞬間の幸せ(初めて聴いたときのロベルト・シューマンの驚嘆がよくわかる)。
ヨハネス・ブラームスは革新者だった。しかも、保守と革新の兼ね合いをとった天賦の才を秘めた人だった。