ワルター指揮コロンビア響 ブラームス 交響曲第1番(1959.11.25録音)ほか

遠い昔の記憶が蘇る。
何より第2楽章アンダンテ・ソステヌートの懐かしい歌。
当時の僕はヴィルヘルム・フルトヴェングラーの演奏にぞっこんだった。あの、あまりに劇的で陶酔的な分厚いブラームスに僕は毎日のように酔い痴れた。

そこに突如として現れた老練の、しかし軽快な見通しの良い演奏。
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団による晩年のブラームスは、どれもが見事に計算された造形に、侘び寂の利いた枯淡の情感麗しい妙演奏であった。僕はまた痺れた。

ブラームス:
・交響曲第1番ハ短調作品68(1959.11.25録音)
・大学祝典序曲作品80(1960.1.16録音)
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

全編にわたるこの若々しい生気は一体何だろう?
ワルターがそれほどこの曲を愛していたということか、そこかしこに歌と希望が満ちる。

ヨハネス・ブラームスとヨーゼフ・ヨアヒムの対話。

「この大詩人は、神と自然の働きに対して、何と鋭い洞察力を持っていたことか! これまでまさにそんな具合に、こうしたことすべてを考えてみたことはない。この世の悪について考え込んだことはよくあったが。テニスンが自然に対して抱いた概念は、我々音楽家の間にも起こる、当惑させられる多くの悲惨な出来事を説明してくれる。ヨーゼフ、たとえばシューベルトはなぜ31歳でこの世を去ったのだろう。モーツァルトは35歳、メンデルスゾーンは38歳、そしてショパンは39歳だ。それにドニゼッティやスメタナ、シューマンは、どうして精神に異常を来したのか。テニスンは他に何を語ってくれたろう、ヨーゼフ。全身を耳にして聞こうじゃないか」。
「ヨハネス、テニスンは四福音書を君と同じくらいよく知っていたし、イエスが語った多くの言葉は、計り知れないほど有益で貴重な霊感の源泉だとも述べていた。彼がどんなふうに聖書を引いたか、実際に彼が語った言葉を引用してみよう。
『私が《イーノック・アーデン》という詩を書いた時、すなわち、

しかし勇気あり神を畏れるイーノックは
深く頭をたれ、人となられた神は
神にある人と共におられるというあの奥義により、
妻子に幸を授けたまえと祈った。

の箇所だが、私は〈ヨハネ〉14.10「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられること」を心に留めていた。これは、かつて人類に告げられた最奥の真理であり、大いなるナザレ人は、この驚くべき事実を完全に理解した初めての人間だ』」。
ここでブラームスは再びヨアヒムの話をさえぎり、ピアノに向かうと《ハ短調交響曲》から最終楽章の第一主題を奏で、こう叫んだ。
「まさにその節だ、この主題を書いた時頭にあったのは。しかも、ベートーヴェンがシュパンツィクに語った言葉も心に留めていた。そのため、ベートーヴェンに似た主題になっている。続けてくれ、ヨーゼフ、興味の尽きないテニスンとの対話を」。

アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P48-49

嘘のような本当の対話。そのリアルさに僕は快哉を叫ぶ。
信仰心篤い、最晩年のブラームスの知的欲求の高さ。
それに、ハ短調交響曲終楽章の、ベートーヴェンの歓喜の歌の旋律を想像させるあの主題が、偶然ではなく、ブラームスの意識の中にあってのことだったことに感動を覚えるのだ。
まさに天人合一の極意。

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