
《歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙・・・》
人の世の歓喜のうえ高く、またあらゆる苦悩をこえて、そうだ、わたしはそうした輝きわたる歓喜を感じる。わたしは、自分の達することのできない岩が《幸福》と名づけられていることを知っている・・・わたしには、もし幸福に達するためでなかったら、自分の生涯がむなしいものであることもわかっている・・・ああ、だが主よ、あなたは、我を捨てた純潔な魂に、それを約束してくだすったではありませんか。《今よりのち、主の中に死する死者は幸福なり》と、尊いお言葉が語っております。わたしは、死ぬまで待たなくてはならないのだろうか。ここにいたってわたしの信仰はゆらぐ。主よ、わたくしは、主へ向って声をかぎりに呼びたてまつる。わたくしは、闇のなかにおり、黎明を待っております。わたくしは、死ぬまであなたさまにお呼びかけ申しております。どうかわたくしの心の渇きを癒しにきてくださいますよう。
~アンドレ・ジッド/山内義雄訳「狭き門」(新潮文庫)P241-242
起こる人・事・物すべてを生かすことを好生の德という。苦悩があっての幸福であることは明らかだ。
イースター(復活節)のために書かれたバッハのカンタータ。
復活後の第2の主日のためのもの(BWV104)を、そしてまた、第3の主日のためのもの(BWV12)を聴いた。指揮はカール・リヒター、演奏はミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団。心に沁みる名演奏。
ライプツィヒ時代のバッハは、日曜日ごとに新たなカンタータを作曲したという。
1724年の第104番は、第1曲合唱「きき給え、イスラエルの牧者よ」さることながら、フィッシャー=ディースカウによる第5曲アリア「幸いなる主の群れ」の知的で喜びに溢れた名唱に膝を打つ。
ザロモン・フランクの詩による第12番「泣き、嘆き、憂い、怯え」が圧倒的に素晴らしい。
仮を借りて真を知るという言葉の通り、僕たちが生きる意味を端的に表現した歌詞が、バッハの敬虔な音楽を得て、あらためて僕たちの魂にまで届く。
憂いは多いが(第2曲)、それは喜びに変わるものである。神の国にゆくには多くの苦難を経なければならない(第3曲)。苦しむキリスト教徒にとって、キリストの受難は慰めである(第4曲)。だからキリストのあとを追って十字架を背負うのだ(第5曲)。雨のあとには祝福の花が咲くのだ!(第6曲)。曲全体を結ぶのはS.ロディガスト作コラール「神のなし給うことすべてよし Was Gott tut, das ist wohlgetan」(1674)の最終(第6)詩節である。
~「作曲家別 名曲解説ライブラリー12 J.S.バッハ」(音楽之友社)P404
アダージョ・アッサイの冒頭シンフォニアの、オーボエ・ダモーレの哀愁漂う音楽もさることながら、ミサ曲ロ短調の「十字架にかけられ」に転用された第2曲合唱「泣き、嘆き、憂い、怯え」のあまりの美しさ!
そのとき彼らの歌ったバッハの「受難曲」やミサの合唱は、今さら私が書くまでもなく、実にすばらしく感動的だったが、しかしそれは少年合唱団の宣伝文句のあの「甘く清らかな天使の声」で歌われたわけではない。むしろそれは強くはげしく、私たちにぶつかってくる音だった。乱暴というのでもなく、またけっして一つの音色に限られず実にいろいろに変化する声だったが、全体は「柔らかに円味を帯びた暖かい声」という言葉で形容できるようなものでもなかった。
「あれは素人合唱団だから」という人もいるが、そういうことともほとんどまったく関係がない。芸術としての根本的発想がちがうのである。コラールだけをとっても、リヒターは断固たる速めのテンポで指揮し、感傷的なゆき方は極度にさけていた。それはきれいに仕上げられた咽喉の芸ではなく、心の底の歌だった。
~「吉田秀和全集12 カイエ・ド・クリティクI」(白水社)P161-162
リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団の初来日(1969年)の際の吉田さんの言葉の重み、否、まったく的を射た論に僕は感激する。しかしおそらくリヒターの実演のバッハは録音以上の感動を与えてくれたのだろう。「心の底の歌」を目の当たりに聴きたかった。