クラウス モーツァルト ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調K.282ほか(1954.2-3録音)

旅先での様々な出会い。青年ヴォルフガングの恋。

1777年、バス歌手フリードリン・ヴェーバーの家族との出会い。
その家の娘、15歳のアロイジア(歌手としてすでに相応の名声を誇っていたらしい)にヴォルフガングは熱烈な恋をする。しかし、その恋は成就せず、彼は失意のどん底に陥った。後にヴォルフガングの妻となったコンスタンツェは、アロイジアの妹だ。

旅先のマンハイムからザルツブルクに住む父レオポルト宛手紙。

あくる月曜日にはまた音楽がありました。火曜日も水曜日も。ヴェーバー嬢はみんなで13回歌い、2回ピアノを弾きました。ピアノもけっして下手じゃないのです。ぼくがいちばん感心するのは、楽譜をとてもよく読むということです。考えてもごらん下さい、ぼくのむずかしいソナタをいくつも、ゆっくりですが音符を一つも落とさず弾いたのです。誓って言いますが、ぼくはぼくのソナタを、フォーグラーが弾くよりこの子が弾くのを聴く方が嬉しいです。
(1778年2月4日付)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(上)」(岩波文庫)P114

父子の対話らしい、本音が綴られる。
旅先の青年は相変わらず多忙だった。
手紙に示されるソナタは、K.279からK.284の6曲だ。
若きモーツァルトの傑作たち。

久しぶりにリリー・クラウスを聴いた。
初めて彼女の真意がわかったような気がした。そして、モーツァルト弾きだといわれる理由がわかった。天衣無縫のモーツァルト(モーツァルト自身が難しいというのは、テクニックではなく、それを音楽的に表現できる「心のあり方」を言っているのだろうと思う)。歌うべきところは明朗に歌い、深沈たる表情で嘆くときは嘆く。まるで目の前にモーツァルトがいて、呼吸をしているかのような錯覚に襲われるくらい(光と翳の描写が見事!)。なんと可憐で情緒に満ちる音楽であることか。見事だ。

モーツァルト:
・ピアノ・ソナタ第1番ハ長調K.279(1774)
・ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280(1774)
・ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調K.281(1774)
・ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調K.282(1773-74)
・ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283(1774)
リリー・クラウス(ピアノ)(1954.2-3録音)

初期ソナタがとにかく素晴らしい。
旅を繰り返すモーツァルトが故郷ザルツブルクで書いた「むずかしい」ソナタたちは、演奏によって浅くも深くもなるが、クラウスのそれは見事に老境のモーツァルトと言っていいほど深い。情念もそうだが、それよりも理性の深遠さとでも表現すればいいのかどうか。
(僕も齢60を超えたが、その昔聴いたときには見えなかったところが見えてきたように思う)(うまく表演できないが、演奏の奥の心の機微というか何というか)

ジャワで語ったリリーの言葉、仕種、表情が、断片的に、しかしありありと蘇ってくる。

—音楽には天国か地獄しかありません。・・・歌のない音楽など、音楽ではありません。
—私の信じるモーツァルトは、乗馬用のズボンとブーツを穿いた、男らしい男よ。血も涙もある、生きている人間なの。モーツァルトには、息もつかない感じで馬を走らせる疾駆する精神があるのよ。
—もっと大きな悲劇を下さい。ハムレットやリア王のような悲劇を・・・。今の世界を思って! 戦争の悲劇、これは、私たちのための音楽なのよ!
—私も、この慈善演奏会には物凄い熱気を感じるわ。世界の一流のステージに負けないものを届けたいと思ってきたけど、ここでしかない白熱した雰囲気があるの。初めて体験することよ。
—私は待ちます。冬が過ぎ、春が来るのを待つように、戦争が終わるのを、じっと待ちます。その日が来たら、ピアニスト、リリー・クラウスは、本当の意味で生き返るのです。
—モーツァルトは愛です。モーツァルトは赦しです。そう語ることのできる信念が死の淵に沈んでしまう前に、何とか戦争は終わりました。イイダさん、貴方のお蔭です。
—私はピアニストよ。私はピアニストなのよ・・・。
—貴方も、モーツァルトを忘れないで。必ず、光は訪れます。そう信じて、生きるのです・・・。

多胡吉郎「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」(河出書房新社)P282

1963年1月、27年ぶりの来日公演を聴いた作曲家、飯田信夫の回想である。
モーツァルトは愛であり、また赦しだというリリーの言葉が的を射る。

個人的に最愛の佳品K.282とK.283。何て美しいのだろう。

リリー・クラウスのモーツァルト アダージョK.540ほか(1956録音)を聴いて思ふ モーツァルトの幻想曲K.475 モーツァルトの幻想曲K.475

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