クレンペラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン第4番(1968.5.26Live)ほかを聴いて思ふ

先日、オラリー・エルツ指揮読響定期で聴いたエリッキ=スヴェン・トゥールの「幻影」は、ベートーヴェンの「コリオラン」に触発されて生み出されたオマージュだそう。ベートーヴェンが、コリンの戯曲「コリオラン」に感激し、再演の際に創作した序曲は、劇的な、そして直接の熱を発する名曲だ。

オーケストラの自発性を促すのが晩年のクレンペラーの本懐だと僕は信じていたが、多くの名演奏の源泉は、実は相互信頼によってもたらされたものであると知り、音楽という行為の崇高さに僕は得心した。

ウィーン・フィルハーモニーは、クレンペラーの断然お気に入りのオーケストラだった。とはいえ1960年代には、ウィーン音楽週間の期間しかこのオーケストラを指揮しなかった。彼は定期演奏会を嫌悪していた。1960年代の終わりには音楽週間の期間に、5回の一連の演奏会を指揮した。そのときの彼の指揮ぶりについて、ウィーン・フィルハーモニーの楽員ホルスト・ミュンスターはこう語っている。「彼は自分の身体の動きを懸命にコントロールしようとし、それで精力をすり減らして、音楽そのものに入ってゆくことができなかった。」彼は、演奏会場の上を飛行機が通ったりすると、その爆音をコントラバスの強音と聴き違えたりした。そこで楽員たちは、耳の遠い、気難しい老人のプローベに神経を使い、指揮者の指示がはっきりしなくてもどうにか演奏をつづける術を身につけていった。楽員たちの目線はコンサートマスターの身ぶりに集中された。
ルーペルト・シェトレ著/喜多尾道冬訳「指揮台の神々—世紀の大指揮者列伝」(音楽之友社)P208

1968年のウィーン音楽週間のコンサートマスターは、ヴィリー・ボスコフスキーだったのだろうか。

・ベートーヴェン:「コリオラン」序曲作品62(1968.5.26Live)
・ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60(1968.5.26Live)
・シューベルト:交響曲第8番ロ短調D759「未完成」1968.6.16Live)
オットー・クレンペラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェンの変ロ長調交響曲のあまりの巨大さ。沈潜する音調に、堂々たるティンパニの打撃。各々の楽器の鳴りっぷりは、壮絶でありながら柔らかい。そこは、ウィーン・フィルのファジーな美しさなのかどうなのか、柔と剛の融け合う快感が、全編に横溢する名演奏。終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポが出色。

それまでクレンペラーは、当時の多くのユダヤ人とはちがって、キリスト教への改宗は考えたことはなかった。彼にしてみれば、宗教など大した意味は持っておらず、どんな宗派の衣をまとっていようとどうでもよかったのである。だが彼は、ここシュトラースブルクの大聖堂で「音楽と色彩に満ちたカトリック儀式の演出」に心を奪われたことを認めざるをえなかった。丸い支柱、尖塔アーチ、バラ窓、丸天井といった舞台装置の持つその光景や振付は、オペラとの類似点がたくさんあったのだ。彼は何度もシュトラースブルク大聖堂に出かけ、カトリックへの改宗をはじめて真剣に考えるようになった。「そうだ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトといった人たちはカトリックだったじゃないか、だからそんなにひどいわけではないと思ったんです」と、クレンペラーは後年語っている。
E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P70

強弱の振幅激しい「未完成」交響曲第1楽章アレグロ・モデラートに戦慄。
それにしてもこの重量感は晩年のクレンペラーならでは。しかし、それが単に指揮者一人の力量でなく、どちらかというとウィーン・フィルのコンサートマスターを中心にしたアンサンブルの賜物だったというのが肝。一等素晴らしいのが、第2楽章アンダンテ・コン・モート。侘び寂。大宇宙の鳴動。この確信に満ちた足取りは、クレンペラーの真実であり、それを見事に表現するオーケストラの匠の技。

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