晴れた。
吉田秀和さんの最後のエッセイ集「永遠の故郷」第3巻『真昼』ではマーラーの歌曲に多くの紙面が割かれているが、その中で「少年の不思議な角笛」に言及されている箇所を読んで「なるほど!」と思った。マーラーの初期のこの歌曲集、原題を”Des KnabenWunderhorn”というが、氏はその訳を「少年の不思議な角笛」であることに昔から違和感を感じてらしたのだと。
外国の言葉を訳出するのは難しい。相応の経験と技術を要する作業だが、特にひとつの単語にいくつもの意味を持たせた詩や歌などの場合は余計にややこしい。”Wunderhorn”をすなわち楽器だと誰かが決めつけたということだけれど、もちろん「角笛」という意味も持ちながら、当時の一種の「おもちゃ箱」のようなものも指すのだということが吉田さんの考察から推測できる。
そういえばこの歌曲集に選ばれているテーマ自体がごった煮のようなものだし、マーラーの音楽そのものがそもそも支離滅裂的コラージュの類なわけだから、邦訳としては「少年の不思議なおもちゃ箱」なんていう風にした方が的を射ていたのかもなどと考えた。
このドイツの民謡詩集は19世紀初頭にルートヴィヒ・アヒム・フォン・アルニムとクレメンス・ブレンターノによって編纂されたもので、それこそ当時の一般民衆に語り継がれていたお話を集大成したものである。兵隊の詩もあれば親子の詩もあり、まさに何でもあり。
思考があちこち飛ぶ(?)マーラーにうってつけの素材だったのだろう、彼の創造力との掛け算によりマーラー初期の傑作が生まれたのだと言える。まさに万華鏡!!この歌曲集から次々に関連のある交響曲が生み出されることがそれを物語る。
マーラー:歌曲集「少年の魔法の角笛」
ルチア・ポップ(ソプラノ)
アンドレアス・シュミット(バリトン)
レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1987.10Live)
あの時、バーンスタインが新しくマーラーの全集を始めたというニュースを聞いて狂喜乱舞した。昨日のことのように思うが、すでに四半世紀が経過する。何とも言葉を失う「時」の速さよ。
この音盤、何より今は亡きルチア・ポップの歌唱が聴ける点に価値がある。バーンスタインの指揮についてはいわずもがな。
聴いていて本当に楽しく、あっという間に50数分が過ぎる。音楽においてはそれこそが一番だ。悲しくなったり、時に深刻になったり、音楽には人の感性を刺激する要素がいくつもあるけれど、やっぱり「愉しい」ことが大事。
“Urlicht”(原光)(「復活」でのクリスタ・ルートヴィヒによる歌唱より幾分明るいせいか希望を感じる・・・笑)を入れて全13曲。中でも僕のお気に入りは、”Wo die schönen Trompeten blasen”(ラッパが美しく鳴り響くところ)。ここでのポップの天使のような歌唱は天下一品。本当に言葉にならない美しさ・・・。
そして、”Des Antonius von Padua Fischpredigt”(魚に説教するパドヴァの聖アントニウス)の滑稽さ(「復活」交響曲のスケルツォに転用されている、というかこれらはほぼ同時に作曲されているみたいだから双生児とみなせる)。
これらの対比が堪らない。マーラー音楽の醍醐味。
あ、それと「おもちゃ箱」だけれど、ドラえもんの「四次元ポケット」みたいなものを僕は想像する。いつの時代にもああいうポケットは子どもの夢だろうから。
[…] てみると、ここには「万物の静けさ」と魂だけになることへのある種「希望」しか聴こえぬではないか。昨日聴いた「少年の魔法の角笛」についてもそう。あるのは「愉悦」と「夢」と。 […]