
依然として、ウィーン・フィルとの間には不穏な空気が消えなかった。結束を強めるためには、デッカが何か大きな仕掛けをすることが必要だった。中でもいちばん効果的なのは、ウィーン・フィルも含めた全員が不可能だと考えていたこと、すなわちヘルベルト・フォン・カラヤンを獲得することだった。
カラヤンは、ヒトラーの死によって生じた、指導者を渇望するドイツ人の魂の空白を、無意識のうちに埋めていた。彼のしぐさは型にはまっていた。気まぐれで無慈悲で、無遠慮だった。並はずれて聡明で、見栄えをよくすることに神経を注いでいた。言葉を変えれば、洗練された、あるいはわざとらしいオーラを放っていて、胸がむかつくほどだった。
しかし、音楽面でのカラヤンの非凡な才能は、誰も否定することができないだろう。ときには天才とさえ言える—それは、単なる指揮技術の範囲を遥かに超えた言葉である—ものだった。新しいファンたちは忘れがちだが、カラヤンは戦前のドイツの地方歌劇場でそのレパートリーと技術を身につけ、昔ながらのやり方で、段階を踏んで登りつめてきたのだ。
~ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P270
1960年代のカラヤンは(特に)輝いていた。
(ジョン・コルトレーンも最も輝いていた時期だろうか?)
いや、帝王は常に帝王だったのだが、その芸術の内に、自尊心と謙虚さが同居し、オーケストラの自主性を大事にした、あくまで自然体の、バランスの取れた音楽性を醸す、そんな音楽がいつも流れていた。
主体性と協調性の双方が拮抗し、作曲家が意図した音はもちろんのこと、それ以上の効果を発揮し、聴く者を惹きつける力を十分に持っていた。
(帝王はきちんと下積み時代を経ているのだ)

例えば、ウィーン・フィルハーモニーとのブラームスの交響曲第3番。
(ジョン・カルショーのプロデュースによるDecca録音)
外面だけを錬磨した、厚化粧で気色の悪い音楽ではなく、芯のある、洗練された解釈によって実に普遍的なブラームスがそこでは鳴っているのである(まさに「我」のない、音楽だけが一人歩きする録音は、ただ「鳴っている」という表現が正しい)。
・ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品88(1961.10録音)
・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90(1960.10録音)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
無骨で劇的、荒々しい(?)演奏ばかりを良しとしてきた僕にあって、60年のカラヤンのブラームスは衝撃だった。相応の時間をかけてのセッション録音ゆえの、ウィーンはゾフィエンザールでの無疵のブラームス。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオの主題呈示からカラヤンの独壇場。
オーケストラの完璧なテクニックと磨かれた音。人間臭さもスポイルされ、純粋に、ただ音楽だけが響くという奇蹟。大げさだけれどそれ以上でも、また以下でもなく自然体のブラームスが堪能できるのだ。
第2楽章アンダンテの喜びも実に冷静。
そして、第3楽章ポコ・アレグレットは、個人的には人工的な美しさが鼻につくが(聴きようによっては無機的というのだが)、気味が悪いほど美しいことには違いない。
さらに、終楽章アレグロの素晴らしさ。全楽章が静かに終わる、ブラームスのこの革新の意図を見事に体現するカラヤンのセンスに脱帽だ。
