
この肉体と化した時間の概念、私たちから切り離されることなしに過ぎてしまった歳月の概念、それを私が今、こんなにも強く浮き彫りにしようとしているのは、現にこの瞬間にもゲルマント大公邸において、スワン氏を送ってゆく両親の足音が、また、いよいよスワン氏が帰っていってママンが2階に上がってくることを告げる門の小さな鈴の音が、この踊るような、金属的な、いつまでもつづく甲高いさわやかな響きが、依然として私の耳に聞こえていたからだ。私には紛れもなくそれらの音が聞こえた—あんなにも遠い過去のなかにあった音なのに。そのとき私は—実際にこれらの音を聞いた昔の瞬間と、ゲルマント邸でのこの午後の集いのあいだに、必然的に位置づけられるすべての事件のことを考えながら—いまだに自分のなかで鳴り響いているのは例のあの鈴であり、そのやかましい音は私が何ひとつそれを変えることができないままここまで続いているのだと考えて、愕然とした。
~マルセル・プルースト/鈴木道彦訳「失われた時を求めて13」「第七篇 見出された時II」(集英社文庫ヘリテージシリーズ)P277
決して懐古趣味ではないのだけれど、10代の頃に聴いた音楽は、どんなジャンルのものでも心の奥底にこびりついていていつまで経っても殺がれない。
突然思い出したように聴きたくなることがある。
リリースは僕が上京した年。ほどなくロック音楽に僕は瞠目した。
クラシック音楽一辺倒だった僕にポピュラー音楽の素晴らしさを教えてくれたのは他でもないザ・ビートルズだった。以来、たくさんのロック音楽に触れた。それは、音楽を享受する意味で、僕の心の幅まで広げてくれた。
「何でも聴く、何でも聴いてみる」のは、とても大切なことだと思う。

ジャーニーを聴いた。
中でも彼らの長いキャリアの頂点たる、1983年リリースの「フロンティアーズ」だ。
(世代が違う僕の妻はおそらく知らない)
先頃亡くなった渋谷陽一さんはいわゆる「産業ロック」として認めていなかったのじゃなかったか?
当時の僕は、例によって評論家の言葉に翻弄されて、迷いに迷っていた時期だが、僕の感性の一端には間違いなく引っ掛かっていたので、何年も、否、何十年も経ってからジャーニーを、そしてスティーヴ・ペリーを受け入れることができたように思う。
(自らの耳を信ぜよ)
国内の重大ニュースとしては、ロッキード裁判で、田中元首相に有罪判決、三宅島大噴火。
国際ニュースとしては、大韓航空機撃墜事件。
社会ニュースとしては、ディズニーランド開園、貸しレコード屋、カフェバー、ファミコンが流行。
映画は『愛と追憶の日々』、『スターウォーズ ジェダイの復讐』、『戦場のメリークリスマス』、そして『楢山節考』がカンヌ映画祭でグランプリを受賞。
ベストセラー本は『気くばりのすすめ』、『積木くずし』、『佐川君からの手紙』。
流行語は「不沈空母」、「軽薄短小」、「少し愛して、なが~く愛して」。
TVCMではサントリー缶ビールのペンギンが活躍、TVドラマは『ふぞろいの林檎たち』、『スチュワーデス物語』、『おしん』。
(細川真平)
~MHCP 1172ライナーノーツ
すべてが昨日のことのように思い出される。42年も前のことなのに。
音楽はまさに大衆文化と紐づいて、すべてを照らす媒介なのだと思う。
(少なくとも音楽愛好家にとって)
Personnel
Steve Perry (lead vocals)
Neal Schon (lead guitar, backing vocals)
Jonathan Cain (keyboards, rhythm guitar, backing vocals)
Ross Valory (bass guitar, backing vocals)
Steve Smith (drums, percussion)
名曲「セパレート・ウェイズ」は、当時、いわゆるディスコの定番だった。
田舎者の(19歳の)僕は、初めて入ったディスコに浮かれてしまった。他にもスティクスの「ミスター・ロボット」やマイケル・ジャクソンの「ビート・イット」はどこに行ってもかかっていた。

懐かしいが、決してあの頃に戻りたいとは思わない。
過去もなく、未来もなく、あるのはただ今のみだからだ。
しかし、普遍性を獲得した音楽には未来がある。42年が経過した今もジャーニーは新しい。
